第11回③ 福田 芽森先生 医師の働き方は多彩で面白い。動いていれば活動の場は広がる
臨床、産業保健、研究、公衆衛生、学会広報、企業への所属など、多くの分野に活躍の場を持つ福田芽森先生。学生時代から「好奇心」が強く、さまざまなことに興味を持ってきた。しかし、これだけの幅広い活動をどうやって継続しているのか。その経緯や、目指す未来についてうかがった。
循環器内科医としての視点を多彩に展開
医療機器開発から学会広報、そして臨床に産業医など、幅広い活動をしている福田先生。だが、キャリアの最初から多角的な活動を目指していたわけではなく、臨床医としての経験をさまざまな場所に展開した結果として、今の道にたどり着いたという。
実際、それぞれの活動には、専門である循環器内科医としての視点が大いに反映されている。
循環器内科診療で扱う急性期疾患において、その裏では食事や運動といった予防的アプローチが特に重要であり、これは臨床だけでは解決できず、アウトリーチが欠かせない。また普段元気だった人が、突然倒れて死の危機に直面し、また元気に帰っていくことがあるのも循環器内科の特徴だ。
このような問題意識から、病院の外で一般の方に向けて食事や運動、さらには死生観に関するセミナーを開催したり、より多くの人に伝えるため、予防的アプローチに関する記事を書いたりと、発信を続けてきた。さらに、病院を受診する前の人々の健康状態にもアプローチするため、産業医としての活動も始めた。
研修医時代に出会った医師が転機に
このような取り組みの中で、「病院以外で医療に携わる」ことの魅力に引き込まれていく。その結果、医療機器開発にも携わることとなった。
「循環器内科って、テクノロジーと非常に相性が良い診療科なんです。というのは、ペースメーカーとか、カテーテルのステントとか、そういう医療機器の発展を通して日々の医療が進化し、患者さんにどんどんよい医療を提供できているという感覚が、日頃から身に染みていると思うんですね。技術によって医療が助けられてきたことを目の当たりにしていて、みなさん新しい技術に対する期待が高いんじゃないかと思います。そういう気持ちから、医療機器開発に参加するようになりました。」
もちろん、こういう多彩な活動は、循環器内科医としての一般的な活動の枠に収まるものではない。きっかけとなったのは、都会の大病院で働いていた初期研修医時代に、地域医療研修で出会った医師だった。この医師は「病院の医療だけが医療ではない」という考えを持ち、地域の健康推進活動や医療政策に関わっていた。
福田先生は、この出会いをきっかけとして「都市部の大きな病院で専門性を深めるだけではなく、広い視野をもって医療に関わりたい」という思いを持つようになっていった。病院の外に目を向けて、できることを実践し、さまざまな勉強会などへ足を運ぶうちに、活躍の場が広がっていったという。
流動的な働き方がモチベーション維持に
「臨床の世界の最前線を突き詰めるためには、常勤の医師として毎日臨床のことを考えていなければいけないだろうと思いますが、私はあえて分野を跨いで知見を活かせるように、こういう働き方を選んでいます。」
一見バラバラに見える複数の活躍の場を持つことについて、福田先生は「流動的な働き方」を一つのスタイルとして挙げた。
臨床現場の経験は医療機器開発に活かされている。企業での経験は産業医としての活動に役立っている。もちろん、産業医としての経験が企業での活動に活かされるシーンもある。それぞれが相乗効果をもたらし、活動を継続するモチベーションにもつながっているという。
また多彩な活動をすることで、それぞれの忙しさなどに応じて、適宜調整した働き方もできるという。
「確かにいろいろなことをやっているのですが、どの分野にどれだけのエフォートを割くか、ということについては一定の裁量があります。日々柔軟にできていてありがたいかぎりです。」
最近は、医療機器開発に大きなウェイトをかけている。医療機器開発を通して、医師の「匠の技」を誰もが使えるようにすることを目指している。
「医学の知識は、何百年もの長きにわたって蓄積されてきています。私たちは文献を通してその知識を学ぶことができます。一方、手術が上手い外科医の技術は、その人が亡くなったら失われてしまう。そういう属人的な技術についても、AIを利用して残していきたい。」
福田先生の目は、次はどこに向いているのだろうか。これからも「流動的な働き方」で、臨床や研究・広報や企業で得たスキルを活かして働いていくに違いない。
特殊なキャリアだからこそ、
医療と真摯に向き合う
このような特殊なキャリアの中だからこそ、福田先生は「現場の医療者への敬意」を繰り返し口にする。
「やっぱり、私のキャリアは王道じゃない。当初は、負い目や肩身の狭さを感じることがありました。こういうキャリアを選んだからこそ、ちゃんとやっていかなければならない。毎日患者さんと接している先生方から『頑張っているね』と認めてもらえるような活動をしたいですね。医療に対して誠実であれば、きっとわかってもらえるだろうと思っています。」
さらに、後進のことにも思いを馳せる。
「王道のキャリアを歩む先生方から『やっぱり、横道に逸れた人は医療に真摯じゃない』と思われてしまうと、後に続く人々がいろいろなキャリアを選びづらくなる。」
多彩な活動や働き方が認められるためには、いわゆる「王道キャリア」を歩むとき以上に、医療に対して誠実でなくてはならない。自分のキャリア・医学と真摯に向き合うことで、福田先生は今では学会や行政に関わる仕事も担うまでになった。
働き方はいっぱい。
体を動かせば、面白いことに出会える
多くの活動をしている福田先生だが、その「軸」は明確である。
「『健康』と『幸福』に関することをやりたい。すべてそのための“手段”。」
臨床医として病院で日々患者さんと接する中で、健康だけではなく、幸福を考えることの大切さに気付かされたという。臨床現場だけではなく、患者さんの生活や社会的背景、医療を支える技術、すべてが「健康と幸福」につながっている。
その意味では、福田先生の活動はすべて「自分がやりたいこと」である。先生は、持ち前の「好奇心」によって「健康と幸福」の解釈を深め、「やりたいこと」の幅を広げてきたのかもしれない。
実際に活動に携わるうえでは、ニーズを意識することも大切にしているという。
「医療機器の開発も、声をかけられなかったら、そんな道があるということに気づけなかったかもしれません。ニーズがあって、自分が役割を発揮できるところで活動しています。自分のやりたいことの中で、社会的に意義があると思えることから手を付けています。」
インタビューの最後に、若手へのメッセージをうかがった。
「医師としての働き方はいっぱいある。挫折したときや、よりよい働き方に関心を持ったときには、視野を広く持って、さまざまな人に出会い、いろいろなところに足を運んでみてください。体を動かせば、きっと何か関心のあること、面白いことに出会えるはずです。」
福田先生ご自身の経験から抽出された、密度の高い一言だった。福田先生の医療やキャリアに対する真摯な態度は、私たち後進に対しても変わらなかった。
取材・文:広島大学医学部5年・広島大学大学院医系科学研究科博士課程3年 相京辰樹