第1回④ 近藤敬太先生
現在藤田医科大学 総合診療プログラムにて、在宅医療をメインに取り組みつつ、「コミュニティードクター」として活躍されている近藤先生。自身の体験をもとに、今に至るまでの想いを語ってくださいました。
父親がMR(医薬情報担当者)であった近藤先生は、小さい頃から転勤が多かったといいます。
1995年に介護保険が始まり、母方実家が老健施設をはじめましたが、小5の自分の誕生日に祖母が脳出血で倒れ、要介護となりました。そこから父親がギャンブルに溺れ、毎日借金取りが来る生活に。自身は毎朝の新聞配達で生計を立て、友達の家を転々とする生活でした。
祖母の介護をしつつ、カップ麺+ツナマヨおにぎりが1日の食事。しかし「そこには幸せがあった。」といいます。
中3の時に母に引き取られて愛知県豊田市へ移り、その後「やはり人を助ける仕事をしたい」と医師を志し、愛知医科大学へ進学します。
卒業後、循環器内科を志していた研修医時代、ある日のERで見た光景に疑問を抱きます。
時間外に受診する患者に対し、
「なんでこんな時間に来るんだよ」
「朝まで待てないのかよ・・・」
と言う同僚・上級医たち。
その時に、頭の中に「研修医当直御法度(寺澤秀一著)」の一節が思い浮かびました。
「医療職が脚光を浴びる時は、必ず不幸な患者さんやご家族がいることを忘れてはならないのです。」
自分が似たような経験をしていたのもあり、「人」として診ていない同僚たちの言葉に疑問を抱いた近藤先生。「病気より病人をみたい」と思い、家庭医の道を進む事を決意します。
家庭医としての夢は、「愛知県豊田市を世界一健康で幸せなまちにしたい!」。
そしてそのために必要な能力は、総合診療医であり、地域をみる医師「コミュニティドクター」が必要だと知り、藤田医科大学総合診療科の門を叩きます。
近藤先生は総合診療医を、『小児から大人、妊産婦やその家族まで、病気~健康の人、地域まで診ることができる』医師、そして「生きていれば遭遇する病気」の医師だといいます。
これを1000人の村に例えて話してくださいました。
1000人の村で、症状がある人は794人。その中でどこかを受診するのが206人。そして大学病院を受信するのは10人です。「受信したのを誰でも診る」、つまり206人を診るのが「総合診療医」と思われがちですが、総合診療医は1000人の村全体を診る仕事だ、といいます。
そしてその中でも「コミュニティードクター」は、医療施設で主に健康保険制度の範囲内で行うばかりでなく、地域コミュニティなどにおいて予防や健康維持活動を行うドクターを指します。つまり、「白衣を脱いで、町の中で活動する医師」ということです。
なぜ医療専門職であるはずの医師が、白衣を脱いで、町で活動するのでしょうか。
そこで重要な概念が「健康の社会的決定要因 Social Determinants of Health(SDH)」です。健康であるためには社会的な影響が大きく、個人の責任のみでは語れない、という考え方です。
例えば、通常医療現場では、不眠症を診れば睡眠薬を処方し、糖尿病には経口血糖降下薬やインスリンを処方します。
しかし、この「不眠症」や「2型糖尿病」が、「『失業のせいで』不眠症」「『労働環境で夜食が多く』2型糖尿病」だった場合、それは解決策になっているのでしょうか。
病院でもこの様な問題点に着目し、処方などを考えるのは必要なことですが、特にコミュニティドクターは「社会的処方」という概念で、薬の代わりに地域やコミュニティとのつながりで対処できないかまで考えます。
実際に、青森から田舎に引っ越した高齢女性が、社会との繋がりが乏しいために医療と疎遠になっていて受診などが遅れていた、という事案がありました。彼女は料理が好きであり、それを起点に地域と交流し、健康維持に寄与できないかと場を設けたりもしています。
そんなコミュニティードクターが目指すのは、病棟・外来・在宅のみならず、地域もみれる「コミュニティホスピタル」を作り、全国に増やしていくこと。その起点が愛知県豊田市の豊田地域医療センターになっています。実際に、経営難に陥っていた豊田地域医療センターを藤田医科大学総合診療科が立て直し、今では200床に対して60人の総合診療医がいて、病棟から在宅医療まで展開しています。そして今、豊田で育った医師が全国に散らばり、この「コミュニティホスピタル」のモデルを全国に展開、一つ一つ地域を変えていくフェーズに入っています。
豊田市は有名なトヨタ自動車の城下町。そのトヨタの名言に「やっぱり道がクルマをつくるんですよ」というものがありますが、近藤先生は「やっぱりまちが医者をつくるんですよ」とこの話を締めくくりました。
最後に、いくつか医療者へのメッセージを伝えてくださいました。
まず最初に、「医療を受ける」ということは、実は非常に高い能力を必要とするということです。
自分の体調がおかしいことを「認知」し、それが病気である可能性を「検索」し、病院までお金や交通機関を使って「到達」し、受けた後に「支払」をし、医師の提示した治療プランに「参画」する。この5つ全ての能力がないと、医療を正しく受けることはできません。ここにたどり着けない人は実はたくさんいて、その人にも目を向ける事が医師には求められているといいます。
もう一つは、「人生には2回誕生日がある」という話です。
この「2回」を近藤先生は「産まれたとき」と「自分の使命に気付いたとき」といいます。自身の使命は「地域をよくする・生きていく」こと。その夢が最初にも出てきた、「愛知県豊田市を世界一健康で幸せなまちにしたい!」でした。
自分の「やりたいこと=will・wish」と、「社会が求めている=need」である「持続可能な社会」を、「総合診療医」という「私ができること=can」で創り上げるのが、自分の使命だといいます。
そして更に、この「コミュニティドクター」の仲間を募り、育てていくのも重要な使命だといいます。医師のみならず、医学生・看護学生、更には中学生や高校生にまで巻き込んで、「地域に医療者が関わる必要があること」を知ってもらい、仲間を増やしていくのが今の自分のやりたいこととのことでした。
一生懸命になれる夢と、仲間を見つけてほしいと、最後に伝えて話を締めくくりました。
取材・文:平野翔大(記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター)
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