見出し画像

第17回⑤ 寺谷 俊康先生 医師5年目で医系技官に。キャリアに縛られず課題解決に奔走 

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3医学医学部卒業後、初期臨床研修と2年間の救急科でのトレーニングを受け、医師5年目で厚生労働省に入省した寺部卒業後、初期臨床研修と2年間の救急科でのトレーニングを受け、医師5年目で厚生労働省に入省した寺

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産婦人科医/産業医/医療ライター 平野翔大

医学部卒業後、初期臨床研修と2年間の救急科でのトレーニングを受け、医師5年目で厚生労働省に入省した寺谷俊康先生。医系技官として複数の健康危機管理対策に携わった経験から、日本国内における危機管理教育の普及・地域活動としてイベント開催時の救護対策のルール策定などにも携わる。誰にも取り組まれない課題に問題意識を持ち、健康や公衆衛生の価値を高めるために日々活動する寺谷先生の思いについて伺った。

寺谷 俊康先生
 2004年千葉大学医学部卒。茅ケ崎徳洲会総合病院で臨床研修、千葉大学医学部附属病院救急部・集中治療部、成田赤十字病院救急集中治療科での後期臨床研修を経て、2008年に厚生労働省に入省。2011年には健康危機災害対策室及び政府現対策本部医療班班長として東日本大震災・東電福島原発事故に対応、2020年3月から厚生労働省新型コロナウイルス対策推進本部(地域支援班西日本リーダー等)に従事した。2022年より現職。2012年に千葉大学大学院医学研究院を卒業し医学博士を取得。社会医学系専門医・指導医。地域活動として、千葉県ラグビーフットボール協会安全対策委員長なども務め、スポーツ安全・救護に関わっている。

救急現場から見える社会問題
心にはいつも恩師の言葉が

 大学入学後、ラグビー部の活動に力を入れていた寺谷俊康先生。部活動の顧問でもあり、衛生学の教授であった恩師の言葉が、研修医として臨床現場に出てからもずっと心に残っていたという。

 「医師の仕事は臨床だけではない」

 衛生学の授業では、産業医や船医などさまざまな分野で活躍する医師の講義を聴く機会があり、当時から非常に興味深く感じていたという。また、学生の自治体活動に参加し、一方的なグラウンドの駐車場化に反対したり、サークル会館の環境整備を行ったりした。衛生学の教授やスタッフにお世話になる機会も多く、「臨床以外の活動を行っている先生方の考え方は面白い」と感じる機会が多かった。

 さらに、学生の自治体活動で得たものは非常に大きかった。

 「組織・体制・社会・地域的なものと地続きの感覚を得た。さらに、情熱と知恵、仲間がいれば大きなものが働く。」
 自治体活動で得た経験が、医系技官として活躍する現在にも活きているという。

 医学部卒業後、「目の前に具合の悪い人がいたら、何かの役に立ちたい」という医師の原点のような気持ちも働き、茅ヶ崎徳洲会病院での初期研修、千葉大学医学部附属病院救急部・集中治療部、成田赤十字病院救急・集中治療科での後期臨床研修では、救急のトレーニングに力を入れた。

 救急外来の多くは、社会的弱者である。経済的理由から空調機のない部屋で暮らし、熱中症で運ばれてくる高齢者、虐待を受ける若年女性や乳幼児、借金を背負い自殺を企図した中年男性など、社会保障や公衆衛生、保健医療の脆弱さを痛感した。

 「救急の現場で目の前の患者を診ることも大切だが、その背景にある社会問題や貧困、社会保障そのものに取り組まないことには改善しないのではないか。」

 救急という、社会と直結する現場で働いていたからこそ大きな気づきがあった。臨床現場で働いている時も、「医師の仕事は臨床だけではない」という恩師の言葉が、長い間心に残っていたということもあり、医師5年目で厚生労働省に入省し、医系技官の道に進むことを決意した。

日本で欠如している危機管理教育

  厚生労働省入省後は、健康危機災害対策室及び政府現地本部医療班班長として東日本大震災・東電福島原発事故への対応(2011年~)や、同省健康危機管理災害対策室での国際感染症対策(2014年~)など、危機管理に関わる役職に就くことが多かった。

 災害や感染症の勃発といった有事の際には、皆が一生懸命に働く。しかし、有事の際により効率的に動くことで、より大きな成果を出せるのではないか。疑問を抱き調べていると、大きな組織や複雑な問題を解決するために、危機管理やマネジメントの方法論が存在することを知った。

 「日本では危機管理・マネジメントの方法論を学ぶ機会がほとんどない。」

 一方、米国など諸外国では危機管理やマネジメントの方法論の教育を受けなければ管理職などに出世できないようになっている。同じような課題意識をもった同僚と勉強会を開いたり、厚生労働省での仕事の経験も活かしたりして著書「緊急時総合調整システムIncident Command System(ICS)基本ガイドブック(東京法規出版.2014年)」の出版もした。

 「ライフワークとして危機管理教育に携わっていきたい。」

 近年では、保健所長会で危機管理教育が取り入れられるなど、少しずつ日本でも危機管理教育の新しい風が吹き始めつつある。政策レベルの事業につながるまでにはまだ長い道のりであるというが、寺谷先生の地道な取り組みは今後も続く。

誰も取り組まない課題がたくさん

 危機管理教育と同様に、あまり取り組まれていない分野の一つに、スポーツイベントなどの医療機関の外における医療救護提供体制がある。寺谷先生は現在、地域活動として、千葉県ラグビーフットボール協会安全対策委員長、千葉大学医学部附属病院スポーツメディクスセンターアドバイザーとしてスポーツ安全・救護にも携わる。

 「スポーツ医学の専門家は数多くいる。しかし、専門性が細分化されすぎる一方で統合されていない。イベント開催時の医療救護提供体制の整備がスキマに落ちている。大きなイベントでは医師や看護師などが配置されることが増えてきたが、イベントの規模や特性にあわせた標準的なルールは存在しないのが問題。」と現状を分析する。

 実際に千葉県ラグビーフットボール協会安全対策委員長として、イベント開催時にアスリートや観客の体調が悪くなった際の救護体制について、協会と協力して計画策定を行ってきた。

 さらに、スポーツイベントだけに関わらず音楽イベントなども含め、大規模イベントにおける救護体制において、ただ医療者を配置するだけではなく、人数規模に応じて設置する医療者の推奨人数を提言したり、フローチャート・ガイドラインを作成したりもしてきた。

 この領域は、保健医療関係者のうち「病院の救急部門・地域の保健所・地域の消防の役割の『内分点』の課題」であるという。いずれも近い分野の仕事をしているものの、地域によっては誰も取り組まずにスキマに落ちる課題ということだ。

 寺谷先生の課題意識は、他にもある。労働安全衛生規則では定められていない50人未満の事業場における産業衛生や、学校や大学での感染症対策を含む安全対策など、「現行の公衆衛生や保健医療のスキマに落ちていて、放置されがちな課題がたくさんある。抜けているところを、少しずつ埋めていきたい。」という想いで取り組んでいる。

キャリアに縛られずにやりたいことを

 医系技官としてのキャリアを走り始めて15年。さまざまな課題に取り組み、また、消防庁、原子力規制庁や食品安全委員会(現職)など、他省庁への出向も経験してきた。入省前の救急医としての臨床や、消防庁への出向の経験がきっかけで、地域の特性に応じた高齢者の交通事故対策にも問題意識を持った。

 また、学生時代のスポーツ経験からイベント開催時の救護体制についてガイドライン作成にも携わった。寺谷先生は、自身の経験や興味分野をベースに、幅広く社会問題・医療問題にアンテナを張っている。

 「日本の『公衆衛生』という分野はターゲットが狭すぎる。医系技官のキャリアに縛られず、やりたいことをやっていきたい。」と語る寺谷先生は、今後も「健康・医療・公衆衛生の価値を高める」ために、活動・仕事を続けていきたいという。

取材・文:伊庭 知里(慶應義塾大学医学部4年)

本記事は、「m3.comの新コンテンツ、医療従事者の経験・スキルをシェアするメンバーズメディア」にて連載の記事を転載しております。 医療職の方は、こちらからも是非ご覧ください。


いいなと思ったら応援しよう!