第18回② 吉永 和貴先生 仮説と検証のスプリント!アイデアを形にし続ける医師起業家
医師であり連続起業家でもある、吉永和貴先生。2016年に医療機器向けのWEB問診システム「メルプ」を開発以来、数々のアイデアを形にしてきた。あったらいいなと思いついたものはなんでもすぐに形にしてしまう、少年のようなピュアなときめき心と、それを実現するドラえもんのような技術力を兼ね備えた医師のこれまでのあゆみに迫る。
父親の背中と母親の狂気
「『二月の勝者』という漫画を知っていますか。私の家庭は、まさにあの漫画のような教育熱心家庭でした。」
『二月の勝者』とは、累計部数360万部を突破している、小学生が中学受験する際の、本人やその周囲の人たちの奮闘ぶりをテーマにした漫画作品。激変する受験業界で生徒を第一志望に合格させるべく奮闘する最強塾講師や教育ママが描かれている。
まさにこの漫画のような幼少期を送っていたという吉永先生。
「学校が終わって、17時から22時までは塾に行って勉強。そこから家に帰ってきて深夜まで親が付きっきりで勉強の毎日でした。」
その努力の甲斐あって、地元鹿児島県にある中高一貫の私立ラ・サール中学校へと入学。医師である父親を見て、漠然と医師になるイメージをこの頃から抱いていたと吉永先生はいう。
「自分の勉強法を試したい」
仮説検証人生の始まり
中学ではサッカー部に入り毎日部活三昧だった吉永先生だが、幼少期の教育環境で身についた『やり抜く力』を生かし、成績は常に1番。そんな吉永先生に転機が訪れたのは、大学受験を意識し始めた高校生の時。
「もっと効率的に勉強できるんじゃないか。自分なりの勉強の仕方で勉強してみたい。」
これまでとは違い自分なりに勉強の仕方を決め、東京にある医学部を目指した。結果は不合格だったが、自分の方法を試してみたいという衝動がよりいっそう強くなり、東京に上京し浪人生活を送ることになる。これが吉永先生の最初の仮説検証となった。
「今振り返ると、浪人の1年間が人生の中で一番しんどかった挫折。初めて親元を離れて生活をスタートし、友だちを作らず1人で勉強する方法が、一番成績が上がるだろうという仮説をたててやってみました。でも、実際、夏休みには友だちがいなくて、成績が上がるどころか、むしろ精神的に病んでいましたね。」
論理的な言葉の格闘技
「英語ディベート部」
浪人生活を経て、晴れて慶應義塾大学医学部に進学。鹿児島から上京したこともあり、「他学部とのつながりが欲しい」という思いで選んだ大学、せっかくならとつながりが作れそうな英語ディベート部に入部することとなった。
「父親から、パソコンと英語は身につけろ、と言われて育ちました。その影響も大きかったかもしれないですね。英語ディベート部では、賛成と反対の両者の意見を、決められた時間の中で考え抜き、論理的に論じる言葉の格闘技です。日頃からニュースを見て、知識をつけたり自分の意見を考えたり、訓練していました。」
夏休みなどの長期休暇には、思い立ったらその足で海外へも飛んでいくほどの超直感肌。とりあえず3週間の日程がとれたら、インドやエジプト、ベトナム、メキシコなど、細かい予定は決めず飛び立ち、バックパックをしていた。
「親に過保護に育ててもらったので、早く経済的に自立したいという思いも強かったですね。1人で何かできるんだ、と自信をつけたかった。とはいえ、この渡航費用は親が出してくれていたんですけどね。」
苦笑いしながら、学生時代の体験を述べてくれた。
学生起業した同級生との出会い
学生時代はディベート部やバックパッカーに熱中する傍ら、発声脳科学の基礎研究にも励んでいた。
「最初のうちは研究者にも興味があって、研究室に所属しました。当時、研究はひらめきの世界だと思っていたので、自分が通用するのか検証してみたかったんです。ただ、研究自体は、ひらめきというより忍耐力の勝負ということに気付いて、自分には向かないなと思いました。」
ディベートサークルも終わり、時間ができたタイミングで、医学部の同級生から「一緒に起業しないか」と声をかけられたという。まずはHP制作から始めた吉永先生だったが、いろいろ模索しているうちに、ひらめきが形になっていく面白さに惹かれ、プログラミングにのめり込んでいった。
「アイデアは勝手に降ってくるわけではなく、ただの組み合わせ。医療以外のサービスを見て、徐々に組み合わさっていく感覚を大事にしています。」
毎朝起きて1時間はX(旧Twitter)などのSNSを通じてリサーチを行う。これも自分なりのアイデアを生み出す方法の仮説検証だった。その結果、これを半年ぐらい継続した時から、膨大な量のアイデアが、点と点でつながるような感覚が出てきたという。量から質に変わったのが、まさにこのタイミングだった。
ハードな初期研修と米国大学受験の失敗
残された道は起業だけ
大学を卒業する頃には、将来ヘルスケアの領域で起業をしたいという思いを漠然と抱いていた吉永先生。進路に迷い、いろいろなキャリアを歩む先輩たちにヒアリングしたものの、いずれにせよ2年間は初期研修医をしたほうが無難そうだと思った。2年間の中で課題発見をしながら有意義な時間を過ごそう。そう思い、かなりハードな病院を初期研修先として選んだ。
「総合内科のローテーションは、朝6時から夜11時勤務で、当直が月8回とか。1年目の頃はアイデア探しどころではなかったですね。業務に慣れるのが精一杯で、それ以外のことなど全く手につけられる状況ではありませんでした。ただ、ちょうどその当時ビッグデータが流行っていて、医療とビッグデータを学びたいという思いが2年目頃から芽生えてきたので、米国の大学を受験する準備は進めていきました。」
しかしながら、受験の結果は不合格。4月から正式に入局する医局も辞退した矢先、大学の不合格も判明し、いわばフリーのような状態になったことをきっかけに起業の道を切り開き始めたという。
そこから、ビジネスコンテストに出場したり、アイデアを形にしたりしては検証を繰り返し、2016年に晴れて、「医療をすぐそばに」をミッションにサービスを開発していく株式会社flixy(フリクシー)の「メルプWEB問診」が生まれた。
強みは「シンプルであること」
「メルプWEB問診」以外にも、これまで数々のアイデアを手がけてきた吉永先生。その先生の強みは、「シンプルであること」だという。
「私が作るアプリは、基本的に、本当に必要な機能しかありません。たった一つだけど、ユーザーが必要としている機能。それだけを搭載したアプリをまずはリリースし、ユーザーの声を聞きながら機能を肉付けしていく感じです。」
逆算思考ではなく、直感に従いながら繊細に意思決定をしていく吉永先生。その意思決定の裏側には、緻密な努力によって得られたたくさんの知見と、失敗に終わる数々の検証があった。
「知らないことを知ることや、次のアイデアが湧く瞬間がとても楽しい。ずっとこのスプリントをしている感覚です。気が向いたことをとことん突き詰めていく、ロジックや結果は後からついてくる、そう信じています。」
まさに連続起業家らしい、そしてシンプルな生き方をされる吉永先生。真っ直ぐな好奇心に身を委ね活躍される先生の姿に、憧れを抱く学生も多いのではないか。筆者の私もその1人となった。
取材・文:慶應義塾大学看護医療学部4年 猪村真由