第14回① 大谷 隼一先生 中堅医師の起業。知見共有プロダクトで医療界を変える
医療従事者がオンラインでつながり、専門的な医学的知見を醸成する――そんな医学の進展を加速させるプロダクトを提供する会社がある。今回は、株式会社クオトミーの大谷隼一先生に、医師の起業についてお伺いした。
米国留学中の悔しさからできたプロダクト
曲がりくねった坂道に、目一杯ハンドルをきって停められた車。
ちょっとそこまでのつもりが徒歩15分…。
そんな急勾配をLyftやUberといったライドシェアサービスが行き交う。
大谷先生が整形外科医として米国留学していた頃の風景だ。
「私の留学先だったサンフランシスコに対して、『イケてる』というイメージをお持ちの方は多いと思いますが、インフラでいうと東京の方が圧倒的に便利です。ところが、スマホからアプリを起動すると、新しいテクノロジーで生活が格段に良くなるんです。例えば、LyftやUberが当たり前のように使われていて、交通の便を格段に良くしていました。まさに“make the world a better place”の世界で、プロダクト一つで生活はここまで変わるんだと驚きました。事業が社会を変える瞬間をリアルに感じましたね。」
昨日まで世界になかったものをつくることで、その後の生活が一変する。そして、プロダクトはインフラになっていく。
「クオトミーは今、病院や医師の間に存在する知見の偏りを解消するプロダクトとして、インフラづくりを目指しています。専門的な医療情報や臨床知見の獲得が、地域や所属施設に依存している状況を変えたいと考えています。」
まず、クオトミーとしてリリースしたのは社名を冠した「Quotomy」。「Quotomy」は医師が読んだ論文について意見やログを投稿することで、自身の専門性や知見を表現するサービスである。
そもそも、なぜ医療知見の共有が必要だと感じたのか、お聞きした。
「留学した時に、悔しい思いをしました。アメリカと日本では医師を取り巻く環境に大きな差を感じたんです。アメリカでは良い論文を書けば、研究資金という目に見える形で評価され、研究に必要なリソースに投資できる。それがまた次の業績に還元され、社会的地位がどんどん向上するといった良い循環が確立されていました。少ないサポートの中、忙しい診療の合間をぬって孤軍奮闘する日本とは大違いに見えました。」
そうはいっても、国の制度と文化の違いの壁は恐ろしく高い。そこで、大谷先生は新しいプロダクトの開発を考えついたという。
「日本には日本の環境に適した成果の上げ方があるんじゃないかと考えました。一人一人が研究に割ける時間が短いのであれば、知見を共有し、互いの研究成果をうまくかけ合わせることで、無駄を省けるかもしれません。頑張りを認め合うコミュニティがあれば、孤軍奮闘する医師を一人にすることなく支えられるかもしれません。」
クオトミーの原点は、日本と米国の両方の環境を知る医師ならではの視点であった。
「医師免許はずっと使える」
なにげない一言が起業を後押し
米国から帰国後、医師10年目を超えてからの起業。迷いはなかったのだろうか。
「留学中に知り合った日本人の方に言われたんですよね。『もし失敗しても、医師免許はずっと使えるんですよね。じゃあ良いじゃないですか、挑戦したら。』って。その通りだと思いました。その方は当時Googleにお勤めで、自分と同じように一人で海外挑戦している方の言葉だったから、というのも大きかったかもしれません。なんでもないようにかけられた言葉にグッときました。」
事業を起こした結果、大きな失敗をしたとしても、たしかに医師免許は失効しない。整形外科医としての研鑽、これまでの研究成果、そして脊椎外科領域で高い専門性を追求していた経験も、大谷先生を後押しした。
「それまで僕は整形外科医としてかなり精力的に働いていたので、医師免許と自分の専門性さえあれば生きていけるだろうと思えました。なにより、周囲の人も応援してくれました。だから僕は挑戦できた。幸運だと思います。」
自分が一番欲しいものを作る
「最初は失敗の連続ですよ。プロダクト開発なんてやったことがないものだから、本当に『自分が』欲しいものをつくってしまった。」
夏季休暇中にプログラミングを勉強し、自分でモックを作り、最終的には外注してウェブサービスを作り上げたという。
「もう一回やるとしたら?まずは市場調査をしますね。してなかったんかい!?という話ですけれども(笑)。でもおかげで、何か動くものを作って、手触り感を感じることが大切だと学びました。」
医療畑で生きてきた大谷先生にとって、スタートアップは未知の領域だった。時間感覚も働き方も、医師と起業家とでは大きく異なるように感じたという。エンジニアの知り合いもいなければ経営のノウハウもなく、当時は足りないものが多すぎたと笑うが、それでも大谷先生は先頭に立ち続けた。
「一回も嫌にはならなかったですね。むしろ絶対に続けたい、やめるなんてもったいないと思っていました。コロナ禍によって社会的需要の変化を感じていましたし、医師の課題を解決するというプロダクトを作ることが単純に面白かったんです。なんといっても、自分自身がユーザーの一人ですから。」
社会の機運と確かな手応えを感じていた大谷先生だが、一方で、歯痒い思いもしたと明かしてくれた。事業を立ち上げてしばらく、常勤の外科医と起業家を両立していた頃の話である。
「初めは医師の仕事も常勤で続けていました。でも事業にエンジニアが参加してくれた頃、待ちに待ったチャンスが目の前にあるのに、肝心の自分自身が、医師としての仕事があるために、事業に対して時間をかけられなかったことがあって。その時が一番つらかったですね。常勤医をやめてからは、全力でコミットできるようになり心理的にすっきりしました。」
会社を設立してからと、事業にコミットするという大きな決断の間に、大きな転換点があった。
「やり続けたことが良かったのかもしれません。タイミングと良い出会いに恵まれたと感じる瞬間があったんです。社会的な流れが追い風になったこと、やり続けていたため業界構造を掴めたこと、仲間ができたこと、この3つが揃い前進できました。儒教にも似た考え方があり、『天の時』、『地の利』、『人の和』という言葉があります。成功を呼び込む3つの条件のことで、身をもって感じたからこそ、これらは大切にしています。」
クオトミーでは現在、「Eventomy」というサービス開発に注力しているそうだ。外科医がオンラインで自己研鑽できる場としてサービスを磨き込んでいる、という大谷先生。その眼に、迷いはなかった。
焦る若手医師へ。
「誰にでもここぞという時は来る」
「もしあなたが起業したいとして、いつしますか。大学卒業後?または研修終了後でしょうか? 今ご活躍されている医師起業家の方々を見ていると、それが王道な気がしますよね。でも僕はね、これからの起業を考えるなら、それはちょっと早いんじゃないかと思うんです。」
何者かになりたい、医学生や若手医師に広がる焦りを大谷先生は否定しない。受け止めたうえで、とっておきの“未来の話”をしてくれた。
「医療系ベンチャーに特化した話をすると、オンラインを活用し光るアイデアでライトな層にアプローチする、そんな事業はほぼ埋まったように感じています。次に挑戦するなら、勝てる領域を見定めないといけない。キャリアのVSOP論はご存知ですか。20代では多彩な経験をどんどん積み、30代で専門性を追求し、40代で自分にしかできないことを見つけ、50代では人間性を磨くんです。」
VSOP論とは、Vitality & Variety のV(20代)、Speciality のS(30代)、Originality のO(40代)、Personality のP(50代)と、それぞれの年齢層でやるべきことの頭文字をとったキャリア論である。(出典:脇田保著『自立人間のすすめ-VSOP人材論-』)
最後に、先生からエールを頂いた。
「僕が起業したのは、医師11年目です。そんなに早くはないですよね。でもだからこそ、僕は挑戦できた。医療界の次のフェーズで事業を起こすなら、広い世界を見て、自分の専門性を深めて、軸足を増やして…そうやって力を溜めることが今よりもっと大切になるでしょう。あとはやっぱり、天の時・地の利・人の和です。続けていたら、誰にだって『ここぞ!』という時が来ます。」
「これから働き方改革で医師の生活も大きく変わるかもしれない。そしたらアフター5、増えるんじゃないの? 医師としてVSOPを意識しながらキャリアを積みつつ、他のことにも顔を出せるようになります。絶対チャンスですよ。」
さっきまで真面目な顔をしていたかと思えば、急にいたずらっこのように笑い出す。もうどうしたって魅力的だ。
インタビュー中、先生はどんな質問に対しても惜しみなく、丁寧にお答えくださった。知見を共有・継承し、支え合うコミュニケーションをまさに体現する大谷先生。これからもクオトミーをいち医師として追いかけたい。
取材・文:南生協病院 臨床研修医 筧みなみ