第6回【対談】「人と違う道」歩む医師が、過去を振り返り悟った事
今回は、講演会「医師100人カイギ」当日のパネルディスカッションの様子を、総合司会を務めた私・平野がお届け。医療の枠を飛び越えて活躍する先生方に、原動力や心構えを伺っていきます。
■田淵 仁志先生
■中込 雅人先生
■今西 洋介先生
■石橋 拓真さん
■吉村 健佑先生
■司会:平野 翔大
“人と違う道”進む医師、なぜそこに?
平野:今回は、医療以外のフィールドでも活躍されている先生や医学生に登壇いただいています。皆さんに、人と違った道を選んだ理由や、その中での苦労などを伺えればと思います。
まずは中込先生、いかがですか? 昨年保育士免許を取得されたそうですが、医局から反対されたりしなかったのでしょうか。
中込:僕の今いる医局はたぶん既存の医局と少し異なっていて、多様性を重視してくれるとても自由度が高いところなんです。保育士免許を取りたいとかMBAを取りたいとか、僕は医師としてはちょっとわけが分からないことを言っているかもしれません(笑)。でも、これらは好きなことをさせてくれる環境があったからこそ選べたフィールドだと思います。
今西:素晴らしいですね。僕は逆に、組織の制約による難しさを感じています。個人のSNSを通じて一般の方に向けて子どもに関する情報発信をしていますが、それを独立行政法人や大学など公的機関でやろうと思うと、制約が多くて難しいんです。
小児科は学会からの発信があまり活発でないので、フォロワー数の多い個人が啓発・発信しているのが現状です。ただ、個人の発信にはリスクが伴うので、個人的にはSNSをはじめとした情報発信も、公的機関と協力しながら行っていくべきだと思っています。
平野:田淵先生はいかがでしょうか。なぜITという、医療とは異なるフィールドを選ばれたのですか?
田淵:私の場合は別のフィールドで活動するというより、フィールドを創る側に回っているという感覚です。野球場を整地するように、医療者のための土壌をつくっているんです。もともと「何かをやりたい」と思って始めたというより、医師として働くうえでぶつかる問題を一つひとつ解決してきた。そこに、自分の「プログラマー」という特性を生かした、という感じですね。
医師たちを突き動かす、意外な原体験
中込:皆さんのお話をお聞きして、その背景にある原体験や、人と異なるフィールドで活動する使命感に興味を持ちました。今回の登壇前に過去を振り返った時、「今の自分がやりたいことは過去の原体験に強く結びついている」「その原体験にもっと早く出会えていれば動き出しも早かったんじゃないか」と、齢30にしてやっと気づいたんです。今の皆さんは何に突き動かされているのでしょうか。
吉村:私はダウン症の弟の存在が大きかったです。障害がある人には、チャレンジできないことが出てきてしまいますよね。なので、実家に帰るたびに「チャレンジできることはした方がいい」と思っていました。
石橋:中学・高校時代、部活動や行事にとても力を入れていまして。高校3年生の9月・10月は、それこそ1分も勉強せず課外活動に打ち込んでいました。その経験から、「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という価値観が身についたんです。
興味があるならやった方が絶対楽しいじゃん!ってすごく軽いノリで、大学でもずっと活動していました(笑)。子どもの頃からの夢である宇宙飛行士を軸にいろんなことへ取り組んでいると、周りから「夢を持ち続けられるのはうらやましい」と言われることも多くて。今もこの価値観を大事にしています。
田淵:私の原体験は、クリスチャンである両親の教育ですね。「人のために犠牲になりなさい」と言って育てられたので、その影響はあると思います。男の子として「尊敬されたい」という野心もあったと思います。
ただ、たとえば私のように医師である親と同じ仕事を選んでいる人で、「オリジナリティがないのでは」と悩んでいる人もいるでしょう。でも、自分の生まれ育った環境は変えようがないので、堂々と同じ道を歩めばいいと思います。私もそうですから。
今西:実は、使命感はあまり持っていないんです。「一つひとつの出会いを大事にしていたらここにいた」という感じです。『コウノドリ』の取材協力についても、最初は「売れないのでは」と思いましたが、やってみたら売れたという感じで。私は人にとても興味があるので、その一つひとつの興味と向き合った結果、意外な結果が出たりしています。人生って面白いなと思いながら活動していますね。
「最初の一歩が踏み出せない」医師へ
――「○○を認めよう」
平野:リアルタイムで医師100人カイギの講演を聞いている方から、質問を頂きました。「最初の一歩をなかなか踏み出せない人が多いと思いますが、踏み出す方法はありますか?」とのことです。
中込:わかります、最初の一歩って、やっぱり誰もが怖いと思うんですよね。でも、一歩踏み出すことこそ重要なので、まずは「怖い」という気持ちを認めましょう。そして、「怖くて踏み出せなかった、悔しい」という思いを何度か味わうと、「これじゃだめだ」と踏み出す原動力につながります。
今西:医師としてのキャリアを逆算してみるといいと思います。例えば、25歳で医師になったとしても、あと40年くらいしか働けませんよね。臨床をしっかりやると、すぐ10年、15年経つので、キャリアの半分くらいを使ってしまいます。
そうなると、自分のやりたいこともわかってきますよね。時間がもったいないので、自分の気持ちに正直になって、一歩踏み出すことをおすすめします。
石橋:踏み出してみてもしダメだった場合の、「セーフティーゾーン」を作っておくといいと思います。例えば、友人や両親に挑戦したいことを話しておいて、ダメだった時に「あー!ダメだった!!」と泣きつけるようにしておく。ダメでも受け止めてくれる相手がいれば、だいぶ踏み出しやすさも違うんじゃないかと思います。
平野:勉強になります。では最後に、皆さんの将来の展望をお聞かせください。「2030年・2040年の未来に向けて、医療でどのようなことを実現したいですか」という質問が来ています。
吉村:未来については、その時の自分の年齢を重ねて考えてみると面白いと思います。2030年の時に私は52歳、2040年になると62歳です。その時に何ができるか、どんなパフォーマンスをすることが一番皆さんの役に立つのか、考えていきたいですね。また、「老害にならない」ということを常に気を付けて、頑張りたいと思います(笑)。
田淵:未来のためにとても重要なのは、女性と若者の活用だと思います。この2つが唯一、我々に残された資源だと思うからです。その人材と能力を活用しつつ、人口減などの社会問題を防ぐ努力をしていきたいですね。
今西:2030年・2040年には、さらに少子化が進んでいると思います。小児科医としては、社会構造が変わりマイノリティになってしまうであろう子育て世代を、守る存在でいたいです。
石橋:医療という観点でいうと、個人的には「省リソース」がキーワードになっていくと思います。というのも、その頃には、宇宙にどんどん人が行くようになると思うからです。宇宙に物を持っていくのは大変なので、資源の効率化も進むと思いますし、それを地上の医療にも役立てて、持続可能な社会の実現につなげられたらと思います。宇宙医学の観点から、将来はそんなふうにも関われたらいいなと思いますね。
平野:最後は、これからを作っていく若手の石橋さんが締めてくれました。皆さんありがとうございました!
まとめ
平野です。ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
「医師100人カイギ」ではさまざまなご活躍をされている医師をお呼びしていますが、今回は大学の教授から若手医学生までが同じ場で語り合う時間となりました。
アフタートークでも話題になったのが、「動き出すのはいつからでも遅くはない」ということ。登壇者の皆さんは、今となっては医療全体・制度全体のことを考えたり、異分野との掛け合わせで問題を見たりしておられますが、最初は小さな、身近な問題点から出発しています。
そのような一つひとつの「出会い」を大切にしつつ、得られた機会を活かし、活躍の幅を広げる。そうやって動き出すのは、どのタイミングでも早すぎる事も、遅すぎる事もないのかもしれません。
この「医師100人カイギ」の場も、先生方にとっての一つの「出会い」や「きっかけ」であることを期待して、今後も開催を続けていこうと思います。ぜひ次回以降も、ご参加をお待ちしております。
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