【能登へ医療を届ける】ドクターカー、はじめの一歩(2月10日~12日)
いよいよ始動!まずは現地に辿り着けるように
震災をきっかけに、能登からお医者さんがいなくなっている、この状況をわずかなりとも改善できるのは明らかでした。
幸い、動き出そうと決意したとたん、七尾のお医者さんとつながることができました。
所属するコミュニティのみなさんから多くのお力添えをいただくこともでき、いよいよ出発。
まずは、とにかく現地に無事辿り着くことが目標でした。
思いも寄らぬアクシデント!しかしそれは守られているという実感に変わった
2月10日深夜、七尾近くの有料道路を走行していた時に、後方の車間が近かったため、ドクターカーを路側帯によけました。
後ろの車を先に行かせていると「バンっ」という何かが壊れる音が、ドクターカーの左から聞こえました。
有料道路だから停車できないので、運転しながら左のフロントガラスを見ると、何と左のバックミラーが・・・支柱を残して無くなっていました。木の枝か標識にぶつかったのでしょうか。
もう少しで七尾市内でしたので、そのまま慎重に運転、受け入れ先の「ねがみみらいクリニック」に到着することができました。
これだけでも事故にならず、十分すぎるくらいみなさまから守られていたことに感謝していました。
今回の活動は休日でした。もちろん修理は本来不可能です。
さらに被災地域ですからバックミラーなしの運転はとても危険です。
24時間の登録トラックサポートに電話したところ、11日の朝9時に、なんと予備のバックミラーの在庫があるとのコールバックがありました。七尾の整備士さんがわざわざ出勤してくださり、七尾市内のいすゞ自動車で修理してもらうことができました。
避難所での診察
11日から、さっそく避難所に入り、みなさんにご挨拶しながら、希望する人に診察など行わせていただきました。
初めてのボランティアでしたが、とても多くの事を教えていただきました。特に、被災者の方々から教えていたけたのです。
日常生活がどれほど恵まれていたのかを実感しました。水が普通に蛇口をひねったら出る、道路が真っ平ら(舗装していても、ドクターカーがラリー車のようにジャンプしました!)、自宅というパーソナルスペースが確保されている、などなど、数えるとキリがありません。
また、多くの若い方々がたくさん一生懸命活動されていました。
ご家族で参加もされているチームもありました。
能登に多くの県外ナンバーの車が行き来しているのを見ると、胸が熱くなります。
もちろん目を伏せたくなるようなこともたくさんありました。
それでもみなさん、ゆっくり前に進んでいらっしゃいました。
月に1~2度、数年をかけて能登へ医療を届ける
帰路、途中のサービスエリアで、隣のボランティア帰りの若夫婦のご主人が、熱発して具合が悪いから診てほしいとの依頼がありました。
解熱鎮痛点滴をしてあげたら、かなり回復しました。安心してお帰りくださったので、本当に良かったです。
でもそれまでサービスエリアでぼーっとしていたので、結局、車内での1時間しか寝られませんでした。
これから休日を利用して毎月1~2回は能登へ行くことになります。
復興支援は、1年後、2年後、そして3年後まで見届けることが重要だと考えています。
災害に遭った時、一番不安なのは体のことでしょう。
みなさんの苦痛を少しでも和らげて、前に向いていけるよう、尽くしていきたいと思います。