2022年4月15日(金)言語科学者になる
アビイです こんにちは
お元気ですか?
トップの写真は、『エイリアンvs.プレデター』で
プレデター役のイアン・ホワイトさんと私、
横浜元町のJHカフェでトークしたとき・・・
イアンさんは、イギリスのバスケットボール選手で高身長
映画界では、『ハリー・ポッター』や『スター・ウォーズ』でも
特別な役割で、出演しています
私とは、とても親しいです
私の近況・・・。
春になって、少し、外に出られるようになり
冬眠から目覚めたような気持ちです
1月、無理をしすぎて、2月に怪我と病気をして、
3月末まで、休んでいたんです
おかげさまで、昨日も、食事、風呂、睡眠、
ほぼ元通り、ありがとうございます
この”note"では、毎回、半生を振り返り、主に、
学問の道について、記しています
いま、思い出すのは、大学院時代のこと、
文芸、言語科学、映画製作という、
3つの修士号を、私は授与されています
1994年、日芸で、文芸学の修士号を授与されて、
言葉の芸術性について、自分なりの学説を立てて、
神田外語大学大学院で、同じ時期に、
言語の科学性について、探求していました
ソシュールについて、学部で少し、かじって、
チョムスキーの直弟子である井上和子先生に
大学院でも、教わったんです
大叔母の夫が、文部省にいて、教科書の担当でした
私の父は、総理府で働き、同じ文部省にいたこともあります
そのことが頭にあったので、修士論文で、
学校教科書を論じることにしたんです
主に、指導してくださったのは、NHK上級基礎英語講師で、
放送大学の名講義でも名高い、原岡笙子先生でした
神田外大でも、とても、人気がありました
そして、修士論文をいちどは、提出したのですが、
書き直して、あらためて、元文部省の佐々木輝雄先生に
主査をお願いすることになり、無事、修了しています
この頃のことは、ほとんど、覚えていませんが、
新品の机が並ぶ大学院生研究室で、楽しく、同期生と
語り合ったこと、よい思い出です
同期で入った、藤巻一真さんは、今も、神田外大で、
教えています
頭脳明晰で、とても、笑顔のすてきなひとです
私どもは、英語学専攻でしたが、他に、日本語学専攻もあって
大島一郎先生は、父とも仲がよかったので、大変、
お世話になりました
日本語学専攻の桃井恵一さんとは、毎日のように会い、
懐かしく思い出します
優しい桃井さんは、いろいろな大学や専門学校で、
得意な中国語を教えたり、日本語教育に情熱を燃やし続けている
ようです
神田の大学院で学んだことは、ほとんど、生かしていません
私は、「生成文法」というものになじめず、せっかく、
博士後期課程まで、進める可能性もあったのに、
無駄にしています
しかし、それでも、無駄のある人生が、私は好きなんです。
この大学院時代、だんだん、人生で果たす役割が、みえてきました
日本大学芸術学部の大学院芸術学研究科文芸学専攻では、
「文芸学」と、「文学」「芸術学」の違いを考え続けました
そして、神田外語大学大学院では、言語学と、言語科学の違いを
ずっと、調べていました
どうやら、双方にある違いは、「言語」と「非言語」の境界を
どうとらえるか、それによるようです
研究の対象領域を、いかに設定するか
例えば、「文学」で、「漫画」を論じるのは、正しいのでしょうか?
『天才バカボン』は、翻訳可能でしょうか?
『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』に日本人が感じる違和感は
なぜ、生じるのでしょうか?
従来の言語学では、音韻論(発音)、統語論(文法)、意味論(訳)
という分野があります
※ここで、「~論( )」と表したのは、説明をやさしくするため、便宜上なので、本当は正しくないです
より正確には、意味論は、通訳・翻訳の理論そのものではなく、
もっと深い学問です
それを一歩、進めた語用論の方が、生活に必要です
そういったことを、徹底的に学んでいて、解釈学や、関連性理論に
惹かれるようになりました
哲学と心理学も、別の側面から、言葉を扱う学問ですから、
「文芸学(言語芸術)」と、「言語科学」しか知らない私は
何も分かっていません
哲学は、このときまで、古田暁の講義で、プラトンを学びましたし、
今道友信の講義で、アリストテレスに触れてはいます
実験心理学、教育心理学、青年心理学、芸術心理学、それぞれ、
単位を取得してもいます
ですが、いまだに、全然、知識も経験も足りていません
ソクラテスの言う「無知の知」や、ニュートンの「海岸の砂」
程度の段階です
それでも、大学院生時代も、言葉について調べに調べて、
朝から晩まで、読んで、書いていました
学習指導要領をまとめて、オーラル・コミュニケーションを導入し、
小学校でも英語が学べるように変えてくださった、小池生夫先生には
とても、お世話になっています
やがて、「中学英語教科書における視覚教材」について、修士論文を
まとめなおしたとき、私は、もっと、学びたくなっていました
その前に、『嵐が丘』原作小説翻訳文各種と英語字幕の対比、または、
メディアごとにみた言語の特性と文体の変容、という観点で、
別の論文を仕上げそこなっています
後年、私は、日本文体論学会に入り、博士論文に反省を生かせました
次々、同期生が大学院をやめてしまう中、指導能力のない数人の教授たちに
私は、不満を隠せませんでしたし、敵視してくる他の大学院生の一部とは
戦っていました
私が来る前に、掲示物をはがし、私の本を盗み、書類の提出先を教えず、
さんざん、いやがらせをした連中がいたんです
それでも、家族の支えがありました
よい仲間も、いました
折りあしく当時、お付き合いしていた女性に浮気をされていたのも知らず、いやな別れ方で、精神的には、とても弱っていたのが、1993年から、95年
今でも、女性が苦手だと思うときが、たくさん、あります
言語科学は、よくわかりませんでしたが、チョムスキーが説く政治観には
ちょっとだけ、共感もしています
次回は、塾・予備校講師としての体験をつづります
(つづく)