泣けない

過去の自分が書いた励ましのnoteが、心に沁みる。やはり自分が自分を一番理解しているようで。

でも、ここに書いてあることのなかで違うのは、ぜんぜん泣けないことだ。一人を噛み締めて「寂しい」と思い枕を濡らすものだとばかり思っていたけど、そんなことはなかった。

そのかわり、「ひとりでも人生を楽しいと思えるように生きる」ことのハードルがとても高く感じる。彼と別れて、正直「なんのために生きてるんだろう?」という抜け殻のような状態になっている。

死にたいとは思わない。ただ、いまと数十年後のどちらに死んでも、もはや人生はあまり変わらないのでは…とうすぼんやり考えるようになった。希死念慮とかではなくて、ただただ生きている意味がわからなくて、自分のために生きるということがどういうことなのか思い出せない。

楽しいことを見つけようと思って自分の心に向き合うと、自分が自分に刃物を突きつけるような気持ちになる。近づくと自分に刺されて痛い、といった感じがする。実際に内省を深めると自分が自分をずぶずぶと刺している感じがしてしんどい。

自分ひとりで生きることがここまで難儀で、お酒とかを使って考えないように逃避していただけで、逃避したところで苦しみは和らいでくれず隣にくっついてくることがしんどい。このしんどさを一瞬で忘れられて健全な趣味があれば、もう少し人生の明るい点を見て生きていけるのになと思う。

現状維持ができると思うこと自体がかなりおめでたい頭ではあるけど、このままずーっと自分は変わらずに年齢だけを重ねて、毎年同じ作業をルーティンの如くこなして、その時その時で会う人と一期一会の縁を紡いでいくだけの人生なのかなと感じるようになった。人生に冒険的で、挑戦的で、波があって楽しい何かを期待すること自体がおかしいことなのかと思ってしまう。

こういうふうに考える時点で「人生をかけて何かを成し遂げたい!」と思えない人材だから、人のために生きるほうが世の中のためになるんだろうな。自分に子供を作りたい願望があれば、子育てして社会貢献できたのになと思い、非常に残念だなと感じる。

自分に対してまだ「泣く」という感情が残っていれば、自分の感情を大事にしつつも吐き出して次に進もうとしている感じがするのだけど。今の時期が無自覚なだけで特段つらくて、感情が麻痺しているだけなのだろうか。「辛い、しんどい」という感情はもうないし、泣きたいとも思わないことが、ちょっとだけ怖い。

どんな状態の人でも心を動かされるような自然の絶景とかを見て「あぁ、これを綺麗と思えるならば自分はまだ大丈夫、生きていける」という作業をしたかったけど、出かけるのも難儀な時期なので困ったぞ〜という気持ち。奮発してすっごくすっごく綺麗なプラネタニウムを買って部屋をまっくらにして映すか、プロジェクターを買って部屋に綺麗な自然の動画をたくさん流して擬似自然を体感しようかな…なんて。

それか案外、もう吹っ切れているのかもしれない。分からない。謎。

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