先ず、素朴な疑問ですが、(日本国内の)旧統一教会の教会員は初詣に出かけることはなく、お守りもお札も手にすることはないのでしょうか?
『信者の人権を守る二世の会』(上意下達と報連相が徹底している組織においてはありえないことですが、20代の家庭連合二世が自発的に集まり立ち上げた(かもしれない)任意団体)が4月と6月に公開シンポジウムを開催したそうです。
日帝の統治と真摯に向き合え!大法院判決に対する僕的回答(徳永信一)
憲法と「旧統一教会」(細谷典男)抜粋
長尺なので倍速で再生してもシンポジウム全体を視聴するのに数時間かかります(第1回シンポジウムについてはダイジェスト版も公開されています)が、二つのシンポジウムのうち、第2回シンポジウムの内容を簡潔にまとめた次の記事が目に留まりました。
例えば、下記の映像を見ると、小嶌希晶氏が仰るように、晩年の教祖に会えば『普通のおじいさん』(やや恍惚の人)という印象を抱いたのかもしれません。
尚、上記の映像に記録されている通り、教祖は後継者指名を何とか書面(色紙)に認めたようですが、教祖の没後間もなく文享進氏(七男)は文国進氏(四男)と一緒に追放されました。
また、確かに、ご家族と反目しあうこともなく幸せな毎日を過ごしていらっしゃる2世・3世の皆さんについて、昨年来(日本)国内のマスメディアはほとんど報じてきませんでした。
とはいえ(嫌なことを目にしないよう・耳に入れないようにする自己防衛本能が人類には備わっている上に、旧統一教会と関連団体・友好団体が日本語の書籍や写真や映像から不都合な部分を全て削除し続けてきたとはいえ)、「私は知りませんでしたので、びっくりしました。」は不勉強な発言ではないでしょうか。
難解な経典や論文ではなく、アマゾンでも販売されている『真の御父母様の生涯路程』のような書籍(この記事の末尾に1巻の内容を幾つか引用しました)にざっと目を通すだけでも、日本統治下の朝鮮半島(現在の北朝鮮)で育ち、日本名(江本龍明、本名は文龍明)も名乗り(名乗らされ)、『いわしの頭も信じる日本』『(日本人は)いわしの頭まで崇拝する民族』といった表現が容易に飛び出すくらい日本語を流暢に操り
太平洋戦争中に(現存しない)早稲田高等工学校へ留学し(日本へ進出した当初は早稲田大学卒業と学歴を詐称し)、抗日運動・独立運動に参加していたのではなく特高(特別高等警察)のスパイとして活動していたという説もある教祖と
終戦時(0回目の光復節(韓国)・解放記念日(北朝鮮))に2歳であった総裁が日本を毛嫌いしていた・していることは疑う余地がありません。(教祖は日本へ留学後、韓国に帰国してから、より一層、日本を憎むようになったと推測されます。一方、一つ前の記事『偽予言者―韓鶴子総裁の肖像(刺繍)2022年』でもふれた通り、総裁はとことん嫌日のようです。)
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例えば、(以前の記事『誰よりも日本を愛した教祖 − 天宙聖和3周年記念ミュージカル(2015年8月30日、清心平和ワールドセンター)』でもふれましたが)、教祖の生涯を描いたミュージカル「誰よりも日本を愛した人」には統治中の悪行を赦す代わりに日本を搾取する構図が鮮明に描かれています。映像を見れば、旧統一教会や国際勝共連合と手を携えてきた右派の政治家・論客や(他の宗教法人を含む)政党支持団体は気を失うかもしれません。
また、教祖と総裁に(日本)国内の右派の政治家や論客やメディアに対する配慮が少しでもあれば、ご夫婦で(お孫さん達と一緒に)搭乗中にシコルスキー S-92A(大型ヘリコプター)が不時着(墜落)してから3年余りが過ぎた(東日本大震災の発生から9ヶ月ほど経った、教祖が聖和(逝去)する9ヶ月前の)2011年12月4日に、もう1機所有していたシコルスキー S-92A に搭乗して鬱陵島(うつりょうとう / ウルルンド)へ向かうついでに、ご夫婦で(お孫さんも一緒に)竹島(独島)へ立ち寄ったでしょうか。
昨年来繰り返し報道されているように、国境問題・領土問題に限っても、文鮮明教祖が親日には程遠い考えの持ち主であったことは明らかです。
そのような考えの持ち主が創った旧統一教会と関連団体・友好団体のうち、例えば、国際勝共連合は尖閣諸島問題については中国を徹底的に叩いてきました。
一方、竹島(独島)については(一度も韓国を非難することはなく)沈黙を貫いてきましたが
慧眼の持ち主は数十年も前に旧統一教会と関連団体・友好団体の実態を見抜いていました。
親日のふりをした教祖と総裁の唱える教義が、半世紀以上に渡り、数万人単位で(日本)国内に拡がった状況を、右派の政治家や論客やメディアは引き続き傍観するのでしょうか。
尚、お時間があれば、鈴木エイト氏の記事(下記引用)もご参照ください。