続々【安全第一】事故や故障に際し、横付けした鉄道車両へ渡り板で乗客を移動-瀬戸大橋の上で立ち往生した列車から乗客を救出するのに時間がかかった理由
※ この記事の表紙写真は瀬戸大橋線が全線開業した1988年(昭和63年)4月10日以前に製造された(特注品?)伸縮可能な縞鋼板製の渡り板(幅 600~700 mm、長さ 2800~4300 mm)、宇多津駅・坂出駅・児島駅に配備
以前の記事に書き留めた通り
先々週の日曜日(11月10日)午前7時34分に架線切断・パンタグラフ損傷(3基全て)・停電のため(本四連絡橋の児島坂出ルートで最も本州側にある)下津井瀬戸大橋(櫃石島寄りの位置)の上で高松駅発・岡山駅行のマリンライナー10号(7両編成)が緊急停車しましたが、乗客の救助に6時間、走行不能となった車両を2700系ディーゼル車(3両編成)で移動して架線を張り替えるのに半日以上もかかりました。(午後8時4分に運行が再開されました。)
乗客の救出に6時間もかかった理由は、当日が日曜日であったため、役員や上席職員の判断・決定に平日より時間を要したかもしれないことや、パンタグラフ3基全てが破損して(架線も切れて)自走することができない7両編成のマリンライナー10号を牽引するディーゼル車を高知運転所から移送する必要があったことではないかと推測していました(瀬戸大橋線の停電時に高知運転所や徳島運転所から牽引目的でディーゼル車を派遣することは予め段取りされていたかもしれません。)が
昨日、事故後、二度目の記者会見(中間報告)で、児島駅に保管されていた緊急用渡り板が(一時的に)見当たらず、坂出駅に保管されていた渡り板を陸路で児島駅へ移送するのに2時間ほど要したことをJR四国が公表しました。(架線が切れ停電した上り線に四国側から列車を走らせることはできなかったため、救援列車は下り線で本州側から現場へ向かいました。)
以前の記事でもふれましたが、本四備讃線(瀬戸大橋線)の橋梁部分(下層部)の路床は格子状の鋼材で造られていますが、構造上、鉄道の上り線と下り線はかなり離れて(軌道中心間隔は 6200 mm)敷設されています。マリンライナーの高松寄り車両(5000系)の幅と岡山寄り車両(223系)の幅は共に 2950 mm ですので、上り線路と下り線路ですれ違う(離合する)マリンライナーの車体と車体の間隔は 3250 mm になります。
例えば、伸縮する(新幹線)非常用渡り板1基で故障車両の乗客に路床へ降りてもらい、数メートル歩いてもらった後、(新幹線)非常用渡り板1基で救援車両に乗ってもらう方法も考えられますが
(JR北海道と同じくらい旧いものを大切に使い続ける)JR四国は(瀬戸大橋線が全線開業した1988年(昭和63年)4月10日以前に製造された)伸縮可能な縞鋼板製の渡り板(幅 600~700 mm、長さ 2800~4300 mm)(特注品?)を、1基づつ、宇多津駅・坂出駅・児島駅に配備しているそうです。
(※ スタンション(stanchion)にロープを張って手すりにする構造は工事現場の足場よりも船舶の乗降に使用するワーフラダーに似ています。)
松山駅発・岡山駅行のしおかぜ4号がマリンライナー10号の少し前に上り線を走行した際には何ら問題はありませんでしたが、マリンライナー10号が現場に差しかかった時点、または、その前に架線(トロリー線)が切れたようです。
また、スライダー(集電舟・摺り板)とホーンがほぼ脱落した7両編成の列車の後方ほどパンタグラフの損傷は大きかったようです。
(緊急停車した直後の写真ではそれほど壊れていないように見える先頭車両(7号車)のパンタグラフは、ディーゼル車で牽引される前に折り畳まれたようです。)
破損したパンタグラフ(進行方向の先頭から)
昨日の記者会見ではトロリー線の断線箇所の写真も公開されましたが
JR四国の最初の記者会見で公表された写真を眺める限り、吊架線は切れていなかったようです。
尚、架線が切れた原因については、鉄道総合技術研究所の協力も得ながら、調査が続いているそうです。
瀬戸大橋上約6時間立ち往生の列車 渡り板見つからず乗客救出約2時間遅れる JR四国
2024年11月20日
JR四国は11月20日、10日に本州と四国を結ぶ瀬戸大橋上で約150人を乗せた快速マリンライナー(高松~岡山)が立ち往生したトラブルで、列車の乗客を救済列車に移動させるための非常用渡り板が見つからず、香川側の駅から手配したため、乗客の救出が2時間遅れていたことを明らかにしました。
使用するはずだった非常用渡り板が岡山県の児島駅で見つからず、香川県の坂出駅から非常用渡り板を移動させるのに約2時間かかり、その結果、救済列車出発まで時間を要することになったとしています。
渡り板が見つからなかったことについてJR四国は、配置場所を変更した際、マニュアルが修正できていなかったことが原因としていて、非常用渡り板は後日、児島駅の別の場所で保管されていたことが分かりました。
同社は20日、橋上で約6時間立ち往生した快速マリンライナー10号の運転士や車掌計3人の申告内容も明らかにしました。
当時、列車には運転士と車掌の2人と、JR西日本との境界駅、児島駅に移動中の運転士1人の計3人が乗っていました。発表された事故当時の状況は以下の通りです。
(運転士)
・時速約80キロで惰行運転中、運転台の故障表示の点灯、電圧計0Vを認め、直ちに緊急ブレーキを扱い、列車を緊急停車させた。
・停車後、指令へ報告を行っていたところ、乗客より4号車車内で煙が出ているとの申告を受け、車掌と同乗していた運転士に報告の上、直ちに現場に急行した。
(車掌)
・最後部車両乗務員室で児島駅到着放送の準備を行っていたところ、車両天井付近から「ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ」との異音及び車両後方の架線のゆるみを認め、直ちに非常ブレーキを扱うとともに、乗客に緊急停車する旨の報告を行った。
・停車後、運転士から4号車の発煙の連絡を受け、現場に急行したところ、車内にモヤがかかっており、天井あたりからの煙を認めた。
・4号車に乗客がいないことを確認、運転士2人と協力し、念のため3、5号車の乗客を1、2号車、6、7号車へ避難誘導した。その後、4号車車内の煙は収まる。
(停車中の状況)
・架線の断線により車両への電源供給ができない状態に。最低限の電源を確保しておくため、車両用バッテリーの電源を切っていた。
・室内灯は消灯していたが、昼間時間帯で乗客からの申告などはなかった。
・車内空調は停止していたが、車内温度に関して乗客からの申告などはなかった。
・放送機器が使用できないため、車内巡回のうえ、直接乗客に情報などを伝えた。
・1号車の真空式トイレは汚物の吸引ができない状態のため、使用可能な4、6号車の循環式トイレを案内した。
・乗客は常時落ち着いており、救済列車への乗り換えの際も、スムーズに行動いただくなど、協力いただいた。乗客から「お疲れ様」などのねぎらいの言葉を多くいただいた。
【当時の状況】JR四国 発表資料より作成
当時、乗客救済のため3つの案が検討されました。
1.香川・宇多津駅から救援列車を運転し、故障車両と併結し駅に収容
→検討中止 上り線走行不能のため
2.徒歩+救済バスで救済する(近くの坂出市櫃石島に大型バスを用意)
→検討中止 徒歩での避難が必要、バス確保が困難、3の案が実現可能 など理由
3.下り線で児島駅から救済列車を運転し乗客を救済
→実施決定
午前
7時34分 事故発生
7時37分 事故発生確認・上下線列車抑止完了
7時45分 マリンライナー10号の自走不能を確認 ※上記1の案を検討開始
8時9分 電気係員が現地に向け出発
8時39分 電気係員が現地に到着
8時44分 断線など確認
8時50分 社内対策本部設置
9時20分 上り線 列車走行不能を確認 ※上記1の案を検討中止し、上記2の案を検討
9時30分 下り線 列車走行可能を確認 ※上記3の案を検討
児島→現地→坂出・高松の運行も計画、並行して準備開始
9時40分 上記2の案検討中止 上記3の案の実施決定し、従業員を派遣
10時30分 JR西日本の提案で児島→現地→児島の計画に
岡山・児島駅配置の非常用渡り板(横付けした列車に乗客を移動させるための板)が見つからなかったため、香川・坂出駅から運搬することに
午後
0時30分 非常用渡り板が児島駅に到着
0時49分 救済列車が児島駅を発車
0時59分 救済列車が現地到着
1時29分 乗客の乗り換え完了
2時15分 救済列車が児島駅に到着
トラブルの原因は現在も調査中で、今後、鉄道総合技術研究所などの協力も得ながら、原因を究明し、再発防止に努めたいとしています。
常備の渡り板不明 準備2時間要す 瀬戸大橋線立ち往生 管理態勢課題
2024年11月20日
香川県の下津井瀬戸大橋上で10日、JR瀬戸大橋線快速マリンライナー(7両編成、乗客150人)が約6時間にわたって立ち往生した架線切断事故で、橋上で救援用の列車を横付けして乗客の乗り換えに使用する「渡り板」の所在が確認できず、準備に約2時間を要していたことが20日分かった。JR四国が記者会見で明らかにした。
渡り板は1988年の瀬戸大橋開業時に配備し、2012、16年には乗客の救援訓練で使用していた。配置場所はマニュアルに明記されていたが、場所を変更した際に修正できていなかったといい、訓練の在り方や非常用資材の管理態勢が問われそうだ。
JR四国によると、渡り板(金属製)は幅60~70センチ、長さは伸縮可能で2・8~4・3メートル。児島、坂出、宇多津の各駅に常備しているが、事故後、救援用列車を出動させる児島駅で所在が分からず、坂出駅の渡り板を児島駅まで運搬した。さらに運搬する人員が手配できず、児島駅にいた社員にトラックで取りに向かわせたため、時間を要したとしている。
当時、車内に閉じ込められた形となった乗客に飲料や食物を提供できなかったことも課題とし、四之宮和幸社長は「オペレーション(手順)に問題があった。マニュアルの改善や非常用設備の適切な管理を含め、訓練の深度化や関係従業員への指導教育を進める」とのコメントを出した。
事故は日曜日の10日午前7時34分、児島―宇多津間の児島駅から南約4キロの橋上で発生した。橋上の架線が切れ、緊急停止。乗客は児島駅から到着した救援列車に乗り換えるまで約6時間を要した。
瀬戸大橋は本州と四国を結ぶ3本の橋のうち唯一の道路鉄道併用橋。橋上ではこれまで、電気系統のトラブルや強風などの影響で、長時間の立ち往生が今回を含めて11件起きている。
10日は上下100本以上が運休・部分運休し、約1万5千人に影響した。11日以降は一部車両数を減らして運行していたが、21日から通常通りとなる見込み。
架線切れパンタグラフが損傷 瀬戸大橋線立ち往生 事故詳細
2024年11月20日
香川県の下津井瀬戸大橋上で10日、JR瀬戸大橋線快速マリンライナー(7両編成、乗客150人)が約6時間にわたって立ち往生した架線切断事故で、橋上で救援用の列車を横付けして乗客の乗り換えに使用する「渡り板」の所在が確認できず、準備に約2時間を要していたことが20日分かった。JR四国が記者会見で明らかにした。
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JR四国は同日の記者会見で、列車の立ち往生を引き起こした事故の詳細を明らかにした。列車の走行中に何らかの原因で架線が切れ、その影響で列車上部のパンタグラフが架線を支える金具に当たり、それぞれに損傷が生じたという。
JR四国によると、切れた架線が垂れ下がり、時速80キロで走行する快速マリンライナーの車体に接触。異常な電流を察知した変電所のブレーカーが作動し、現場一帯が停電した。同時に、通常は架線に押し下げられているパンタグラフが上に伸び、架線を支えている金具と接触。パンタグラフ全3基と約120メートル区間の金具約30点が損傷した。
架線が切れた原因は特定できず、専門機関の鉄道総合技術研究所(東京)に調査を依頼。結果を踏まえて再発防止策を検討する方針。
瀬戸大橋架線切断事故、渡り板見つからず乗客の救出2時間遅れ JR四国が経緯発表
2024年11月20日
JR瀬戸大橋線の快速列車が海峡部の橋上で約6時間にわたり立ち往生した10日の架線切断事故で、JR四国は20日、経緯検証を発表し、救助用の列車を横付けして乗客に乗り換えてもらう際に使う渡り板を準備するのに手間取り、救出を始めるのが2時間程度遅れたと明らかにした。架線が損傷した原因については特定できず、15日に鉄道総合技術研究所(東京)へ調査を依頼した。
JR四国安全推進室などの説明では、事故現場に近い岡山県のJR児島駅に配備している渡り板が社内手順の定める保管場所になく、香川県の坂出駅の板を手配して児島駅まで自動車で運んだため、救助に向かう列車の出発が遅れた。その後、児島駅の板は構内の別の場所で見つかった。
渡り板は金属製で、主に瀬戸大橋線の非常時に使う救助用具として本州側の児島、四国側の坂出、宇多津の3駅に配備され、JR四国が管理している。児島駅では2013年に保管場所を変える旨の車内記録が残っていたが、手順に反映するのを怠っていた。
事故後の従業員派遣や現場の状況把握、救助方法の検討など一連の経緯に関しては「適切な対応ができていた」と総括する一方、列車内に閉じ込められた状態の乗客に対し、飲料や食物を提供する機会が遅れたことは課題だとした。
JR四国の四之宮和幸社長は、乗客らに対するおわびのコメントを出し「オペレーション(業務遂行の過程や手続き)に問題があった。マニュアルの改善や非常用設備の適切な管理を含め、訓練の深度化や関係従業員への指導教育を進めていく」とした。
事故の経緯説明では、列車のパンタグラフの損傷よりも先に架線の断線が起きていたと推測できるとの見解を示す一方、原因特定には至らなかった。断線のあった箇所は今年4月と9月の検査を経ており、事故前の11月6日に巡視した際も異常がないことを確認していたとしている。
発表によると、立ち往生した快速は高松発岡山行きのマリンライナー10号。10日午前7時半ごろ、架線の断線を確認して運転を停止し、乗客150人が車内に取り残された。JR四国とJR西日本が協議し、岡山側から救助用の列車を向かわせる計画が正式に決まったのは午前10時半だった。