最近の思考(面談を終えて) 8/20
・休学の面談を行った後で
先日8/17に担任・学類長と面談を行った。
結局私はペアで行う模擬実験的な授業以外は、全ての単位を落としてしまったので二進も三進もいかなくなり、もうこうなっては一度休憩する他にないということで、休学の相談をその模擬実験の授業の担当の先生に持ちかけていた。
まず担任の先生との面談だが…どうやら希死念慮があるという風に授業担当の先生からきちんと情報があったらしく、いたく心配してくださっていたようで非常に申し訳ない気持ちになった。
私の希死念慮など、生きる責任から逃れるための方便でしかなく、なんとも無責任なものであるから。
担任としては、もっと深刻な状況で休学もやむなしと考えていたようで、安心していたと語っていた。
その一方、勉学を放棄して休学…退学する人の方が、むしろ安心する、とも。
勉学に打ち込むでもなく、やりたいことに打ち込むでもなく、ただ不安を抱えるような人が一番心配なのだと…そう語った。
その上で、私の考えていることは”実存的不安”であると語り、休学のメリットは本当にあるの?と問いかけてきた。
曰く、緊急性を感じられない、休学したとて、義務感ばかりでやりたいことがあるように聞こえない…とのことである。
むしろその不安が悪化するのではないか?とまで。
ベッドの上で悶々とするのを、今と同じようにただ繰り返してしまうのでは?と。
誤解のないように言っておくと、別に責め立てるような語り口ではなく、あくまで対話に持ちかけるような語りかけであった。
いや全く、その通りだと思います、と言いたくなるほどの指摘であったが、それを認めてしまうと休学する理由がなくなってしまうので私はただ頷くことしかできなかった。
私が語ったことはこうである…長らく漠然とした人生に対する不安があり、昨年まではなんとか頑張っていたが、今年何かがあったわけではないにしろ、糸が切れたようになってしまい、一度精神科にもかかったが突っぱねられたのでどうしていいかわからなくなったので、一度考える時間が欲しい(すなわち進路再考ということである)…と。
ひどい言い草だなぁ、と自分で文字起こししてみると改めて思う。
ただやる気がないことへの言い訳を連ねているだけである。
つまるところ、自分に勉学へのやる気がないからそれに打ち込むでもなく、何もしないままただ不安だけを抱えて、義務感だけで動いていたその行動原理が失われたので何もしなくなったというだけの話である。
とりあえずそのことに目を瞑って、自分を被害者に仕立て上げて、悲劇の中心に据えて、なんとか延命しようとしているのである。
醜い話だ。
休学のメリットがない、と言われるのも何の無理もないであろう。
ほとんど面識がないのに、その時語ったことだけでおそらく殆どのことを見抜かれたというのは年の功と言うべきか。
専攻が専攻なのもあって、責め立てるような人ではなかったのが不幸中の幸いである。
そんなこんなで、一度考え直したら?と言われて面談は終わった。その流れで学類長の元へ。
もともとはここで書類に押印してもらい、学類長の押印も済ませてそのまま休学願を出す予定だったようなのだが、私の勘違いによって書類が何も用意されていなかったので、その旨と、そもそも休学を一度考え直したら?と言われたことを伝えると、あっけに取られたようだった。
そもそも学類長的には、最初からただ面談をするつもりだったらしく、流れで書類を提出できればいいというのは担任の思惑だったらしい。縦や横での情報共有が上手く行ってなかったようである。
先程と同様のことを学類長に伝えると、半年だときちんと決めて、考えることを考えるなら休学もありではないか?という返答が返ってきた。
そもそも心理学類の中にもなんとなく入ってきた人とか、熱心に志す人とか、色々いるのだし、そこからつながる道は就職・公務員試験・院進くらいしかないのだから…ということである。
担任と違って、幾分か事務的な対応であったように思えた。
休学という制度があるのだから、それを利用するのはアリ、というスタンスのようである。
学類長からお墨付きをもらったのだから、これ以上のことはないのだが…それでも担任にああも腹の中を見透かされた後だと、休学をあっさり認められるのがかえって変に感じて、居ても立ってもいられなくなった。
そんなだから、やましいこともないのに学類長室を出るときはそそくさと出て行ってしまった。
結局休学する流れにはなったし、担任も判子を押してくれるようではある。
後日また担任の元へ向かう予定だ。
しかしどうしても担任の語ったことが頭から離れない。
休学は本当に正しいのだろうか。
正直なところ、自分でもわかってはいるのである。
たかだか半年休学したところで、何かが変わるわけではないということくらい。
だがそれでもとりあえず、形だけだとしても、一度休んでおきたいというのがある。
そこだけは譲れないのだ…
書いていて自分で辛い。
どうしようもない人間であることが日に日に、改めて詳らかになる。
受け入れがたくとも、これが事実である。
ただただ、生まれたことを後悔しているし、早く楽になりたいのが本心だ。
楽になりたいとは何を意味しているんだろう。責任の放棄?死?退学?それは自分でもわからない。
面談の中で唯一、納得できないことがあるとすれば…担任に言われた、”私の様子から緊急性を感じない”ということである。
そりゃ、そう振る舞うように訓練されればそうなる。
やろうと思えば目の前で泣き出したり、発狂したりすることは可能であってもしないだけで。
誰も見ていないところではそれくらいのことはしているのである。
緊急性を感じないとか言われたら、じゃあ死んでやろうかとくらいはどうしても考えてしまう。
そこまで希死念慮抱えて、それでも異常ナシの普通な状態なのだとしたら人間社会って病み過ぎでは?と思わずにはいられない。
・精神科について
前項で書く余裕がなかったので別枠での記述になるが、先日書いた精神科と心療内科の違いについて、担任もおおよそ同じことを言っていた。
やはり、精神科では診断が下せない限りはその相手にならないという。
時には人を傷つけることも言うだろう、と。そもそも人に寄り添うような訓練をされていないのである。
精神科医とは文字通り医者なのだ。
だからこそ薬も処方できる。
診断し、治療するのが仕事であって、話を聞いたりするのはその範疇外。
私が行くべきは心療内科だったのであろう。
これからメンタル面でどこか受診したい、という時はまず心療内科に行くことをおすすめする。
精神科の受診が必要なら、心療内科から紹介してくれるだろうし、何も初動で精神科に行くことはないのである。
・ウマ娘について
飽きた。
いやコンテンツは好きなのだが。
ゲームの中身、やればやるほどCygamesの手のひらの上で転がされていることをわからせられて嫌になってしまった。
何が楽しくてウマ娘をやってたかって、自分の手で比較検証しながら育成するのが楽しみだったのだが、PvPをメインに据えられた上に解析情報で最適解を出せる人たちがトップをかっさらうもんだから何も面白くない。
Discord上で解析情報を普通に共有するサークルがあるもんだから世も末だ。
検証の余地はなければ勝ちは見えないし、手持ちもないので終わり。
よく考えたらそれが嫌でグラブルやめたのになんでまたサイゲの手のひらされなければならないのか。
アホくさくなって原神始めたら探索楽しくなりすぎてやめられなくなった。
多分これはBoTWとかやったら大変なことになるなぁ、と思った。
ウマのピークはアニメ。アニメは文句なしに面白いし、キャラもいい。
何気にセルラン見たら、ハーフアニバ控えてるとはいえガタ落ちしてて笑えなくなってしまった。アクティブどれくらい減ったんだろう。
エイシンフラッシュ欲しかったなァ。
・音ゲーとパチンコについて
飽きたわけではないにしても以前ほど熱が入らなくなってしまった。
理由はいくつかあるのだが、
・自転車がパンクしたままタイヤ引きずり回してもはや走行とは言えない状態(廃棄予定)
・金がない
・体が保たなくなってきた
等々。
金がないのはパチンコのせい。
だいたいツッパして負け。元手が欲しい。
趣味の両立は難しい。うむ。
割と限界は感じている。
引き弱極めすぎてしんどい。
もうやめたらぁ?感がかなり強い。向いていないのはわかっている。
が、楽しいもんは楽しいんだよなぁ。何がダメってゲーセン勤めだからそこで遊べねぇんだ。
音ゲーも楽しいのだけど、こっちもこっちでかなり限界は感じてきている。
趣味するにしても何してもストレスとか諸々つきまとうんだからやるせない。
集中力が切れたのでここまで。
おわり