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クマ問題と向き合う

1.はじめに

秋田、岩手、富山など、全国各地でクマの出没が相次いでいる。特に秋田県ではクマにより、2023年10月25日までに58人が人身被害を受けた。10月だけで30人にのぼる。しかも、その多くが山林ではなく「人間のエリア」で発生している。はっきり言って異常事態である。
本項では、クマの基本的な生態と昨今の状況から、なぜこのような事態を招いたのか、打てる対策はあるのかを記載する。

そもそもの考えとして、クマ対策に正解や特攻薬はなく、地道な対策を継続的に為していくしかないというのが私の立場である。そしてもちろん、対策をするためにはお金と人が必要である。
どこまでのお金をかけ、どこまでの人をあてがうのか。ある程度の被害は許容して、どこまでの対策をするのか。いわゆる「対策のコスパ」も併せて考えないといけない。

先に断っておくが、本項で掲げるのは対策の理想論である。すべてを実施するのは現実的には難しい。特にこの人手不足の社会においては、完璧な対策をし続けることは不可能と言ってもいい。
そのうえで、より多くの人に「クマについて知ってもらうこと」がクマ対策の第一歩になると信じている。まずはとにかく知ってほしい。本項がその一助となれば幸いである。

2.クマとは

日本には本州のツキノワグマと、北海道のヒグマの2種類のクマが生息している。ツキノワグマと比べてヒグマは大きく、人と出くわした際の殺傷力も高い。私は本来ヒグマについて調べていた身だが、多くの対策でツキノワグマと共通する点もあるため、今回はエビデンスをヒグマに立脚しながらも、ツキノワグマも同様の対策が有効という前提で論を進めていく。よって、両者を総称して「クマ」と呼ぶ。

2-1.生態

ツキノワグマは体長120cm~145m前後、体重60~100kg前後の大型獣。
ヒグマは、オスは体長約200cm、体重約150~400kg。メスは体長約150cm、体重約100~200kgの大型獣。
いずれも山林に生息している。

2-2.食事

食性は雑食性で、主に春は木の芽、夏場は葉っぱや昆虫(アリの巣の前でちまちまアリを食べたりする)、秋は木の実などを食べ、冬は冬眠する。
ただ雑食性なため、時にシカや魚などを食べることもある。基本的にクマは腹を空かせていて、植物性のものが得られないとなれば、簡単に獲れるエサとして動物性のものを狙うためである。例えば、知床の一部のヒグマは、秋に遡上するサケを食べることもある。

覚えておいてほしいのは、クマの基本的な行動原理として「なるべく楽にたくさんエサを食べたい」という点。
そのため、クマは自分のエリアから行きやすい場所に、外敵がいない環境で、多量のエサがある場所を探し当てたいと常に思っている。そして、一度見つけた餌場を「自分のもの」として、それを奪おうとする人を攻撃することもある。せっかく見つけた「楽に飯が食える場所」、そう簡単には離さない。
人間だって、楽に飯が食える場所はできれば人に譲りたくはないだろう。

2-3.クマは人を襲うのか

自分から人を襲うことは多くないとされている。人が怪我をするのは、クマが驚いて殴ってきたときと、テリトリーに入ったために「排除対象」と思われた場合などである。人を食うために襲う例はあまりない。
「食うために襲う猛獣である」というのは多くの場合誤りである。

3.クマの移動経路

一番大事なことを書く。「クマは隠れて移動したがる」。最も大事な生態なので、必ず覚えてほしい。
クマの移動経路として使われるのが草藪や河川敷、防風林など、クマにとってすぐに身を隠せる場所。これらを「緑の回廊」「コリドー」といい、クマに限らず野生動物の移動経路となっている。

いい例がある。ことし(2023年)の富山県におけるクマの出没マップ(クマップ)である。

基本的には、山にいるクマが平野に出てきた際に目撃されている。山に隣接したエリアでの目撃は当たり前だが、特に注目してほしいのは平野部での目撃場所だ。常願寺川・神通川沿いや、川沿いでなくとも、航空写真で木が生えているように見える場所、それに隣接した場所での目撃が多い。これは、河川敷や雑木林がクマの移動経路として使われていることを類推させる。
もちろん、日常的にクマが生息しているのは南部の山中だが、移動のためにこういった草地や河川敷にクマがいる可能性は十分にある。
また、少し緑が途切れたとしても、クマが「これくらいの距離ならすぐまた身を隠せる」と思えば押し切って移動することもある。具体的には幹線道路が横切っていても、夜間にぱっと走り抜けてしまえば、人目に触れないで移動することもできる。
人が見ていないところで、クマは夜な夜な動き回っているのは何ら不思議なことではない。人間が見ていないところでも世界は広がっている。

4.なぜいま人里に?

ここまでが、クマについての基礎知識である。これを踏まえて、いまなぜ人里にクマが出没しているかを考える。

4-1.エサ不足

ことしはドングリが記録的な不作だという。出典は富山県のデータだが、北海道や秋田県など広範囲で不作となっている。人間にとっては結構どうでもいいが、クマにとっては文字通り死活問題だ。
クマは秋にこのドングリや木の実などを食べて冬眠に備える。ここで腹いっぱい食えなかったら、最悪の場合死ぬのだ。死に物狂いでエサを探す。
動物たちは少ないエサを山で取り合う。山にも社会がある。強いクマがエサを取る。弱いクマは食えない。食うためには危険を冒して普段行かない場所までエサを探さないといけない。緑の回廊を伝いながら、必死にエサを探している過程で、人間と出くわすのだ。

4-2.個体数の増加

クマの個体数は増えている。北海道のヒグマは1990年の「春グマ駆除」の廃止により、人間の捕獲圧が弱まったために個体数は増加に転じた。
本州でも、調査方法の違いから一概には言い切れないが、増加傾向にあるのではないかと類推できる[宮城県のデータ][長野県のデータ]。
当然、山で養える動物の数には上限がある。面積もそうだし、エサの総量もそうである。現在の個体数が、山の滋養上限を超えているのかはわからないが、ここ30年での分布範囲の広がりと併せると、だんだんと「食えないクマ」が出始めていて不思議ではない。

5.対策は

文頭で述べた通り、クマ対策に特効薬はない。地道な対策を積み重ねていくことしかない。その地道な対策を列挙する。

5-1.個体数の把握

クマの個体数データは実は相当曖昧で、なんとなく増えているとか減っているとかはわかっていても、どのエリアに何頭いるということまではわからない地域もある。このデータがないと、対策をしようにもできない。
環境省や自治体は里山管理の一環として、せめて人里近くに生息したりテリトリーとしているクマの個体数を把握することで、市民に適切なアナウンスができる環境整備を進めていくことが必要である。

5-2.山の管理

クマの住む山を、長期的なスパンで人間にとってもクマにとっても過ごしやすい環境に整備していくことも必要だ。山にエサが多ければ、人間社会に係ることなく過ごすクマが増えて、人との軋轢を減らすことにつながる。
とはいえ、これは結局総個体数の増加を招き、山にいるクマが増えるように人里に入り込むクマも増える可能性もある。さらに、今年のようにエサが凶作となった場合、増えた個体数がまとめて人里に来る可能性もある。
その点で、「山にエサを撒けば解決」と安易に論ずるべきではないと考える。エサが豊富ならば、動物は必ず交尾して個体数を増やす。その結果エサにありつけないクマは必ず出てくる。自然の摂理ではそうなるはずで、そこまで考えて対策を実行すべきである。

5-3.ゾーニングの徹底

ゾーニングとは、クマの住む山と、人の住む里を明確に分けるという考え方である。とはいえ「ここが境界線だからここからは来ないでね」とクマに言って聞かせることはできない。
そこで使うのが先述したクマの習性「身を隠しながら移動する」である。人里と山との間に、草を刈ったりして身を隠せなくした緩衝地帯を作る。さらに境界線として電気柵を設置できたら理想である。クマの心理的に、ここから先は行きたくないやと思わせることができれば良いのである。
ただ、草は放っておけば生えてくるので労力もかかるし、電気柵も山と接する距離が長い場所では、完全な設置が金銭的に困難な場合もある。

実は、かつてはこの緩衝地帯が自然とできていた地域も多い。今よりも山間に住む人の数が多く、それらの家や田畑が自然と人里と山との緩衝地帯として機能していた。緩衝地帯に住む人たちはクマが出ることを理解して住み、追い払ったり駆除したりして生活してきたと思われる。もちろん、クマに襲われて負傷したケースもあるだろう。
しかし現在ではそういった場所の多くで定住者がいなくなり、かつての田畑が山に還り、山と里との境界が「地帯」から「線」になってしまった。緩衝地帯がなくなり、クマが山から一歩出れば人里という状況が生まれたことが人との遭遇が増えた一因である。

そのため、「人が山を切り開いてクマの居場所を奪った」というのは、一概にそう言い切れるものではない。開拓期はそうだったかもしれないが、昭和後期からの40~50年、人間は耕作放棄を続けて山から撤退していった。産業の変化や都市化・高齢化によって、山はむしろ人里に向かって広がっていっているのである。この国において人間は自然に飲まれつつあるのだ。

5-4.個体数調整

反論は予想されるが、やはり個体数調整は不可欠だ。そもそもクマという動物は、食物連鎖における頂点である。クマを殺せる動物は人間しかいない。人間ですら道具を使って初めてクマを殺すことができるのだ。
やたらめったらとクマを殺すのは野蛮ではあるが、個体数の把握やゾーニングを進めたうえで、山の滋養できる個体数を超えた分は、人間社会を続けていくために調整する。これは我々が社会活動を続けていくためには必要な行為だと思う。
クマを殺さないことが「共存」や「共生」ではない。我々の社会も動かしながら、クマと付き合っていくことが「共存」や「共生」ではないだろうか

6.課題

上記対策をすべて実行するには、莫大な金と、膨大な人員が必要になる。これはこの人口減の進む社会においてとても現実的ではない。もっと他に解決すべき社会課題も山積している。
どこまで省力化して、最大限の結果を出し、どこまでの犠牲を許容するかを我々市民一人ひとりが考えないといけない。限られた予算内で、ある程度の怪我人は仕方ないと取るのか、ありったけの金額を費やして被害ゼロを目指すのか。あるいは地域の協力でクマとの共存を図るのか。いずれにしても議論が必要であり、そのためにまずクマの知識を得ることが重要だと私は考えている。
知らないのに口だけ出して金を出さないのは愚の骨頂である。

7.終わりに

あるクマの専門家はこう言っていた。

「クマ問題は『進撃の巨人』と同じである。ウォールマリアを建ててしまえばきっと解決する。でも、そんなお金はありますか?我々はそんな壁の中で生活したいですか?」

ある専門家が言っていたこと

1か月に1つの県で30人が被害を受ける状況を許容するのか、何かしらの手を打つのか。クマ問題は借金でいえば複利。時間が生むのはさらなる被害だけである。待てば待つほどむしろ個体数が増え、解決を遠いものにしている今の状況を甘んじて良いのだろうか。自分や大切な人がクマによって命を落としたり、取り返しのつかない怪我をしてからではもう遅いのではないか。


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