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【横浜街歩き】まいまい東京でガイドをするまで ③
【横浜街歩き】まいまい東京でガイドをするまで②のあらすじ
まいまい東京で土木偉人コースをプレゼンするために、旧野毛山給水地から野毛・関内方面までのルートを下見する。
前回までの記事はこちら
関東大震災を乗り越えたぺこちゃん
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イセザキモールにある、不二家横浜センター店は、1922年オープン!翌年の1923年に関東大震災で倒壊してしまうという悲劇に見舞われながら、再起する復興のシンボルなのです。詳しくは、はまれぽさんの記事をどうぞ!開店当時からの内装がステキなんです。
ナンバー2だっていいじゃん 鉄の橋 吉田橋
イセザキモールから関内駅方面に行くときに渡る吉田橋。
橋だということを意識させないくらい、普通の道路として街に溶け込んでいますが、この橋、ブラントンというお雇い外国人が手掛けた鉄の橋で、当時は最先端の街の名所として、浮世絵にも描かれるほどだったのです。
吉田橋の下は、今は高速道路が通っていますが、かつては派大岡川が流れてました。浮世絵でも橋の下に舟が描かれています。この吉田橋が外国人居留地と外部を隔てる関所だったんですね。
そして、関所の内側にあたる一帯が「関内」と呼ばれるようになったそうです。
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この吉田橋が架けられた1869年の1年前に、長崎のくろがね橋が完成してしまい、日本初の鉄の橋と名乗れず、地元民としては少し残念です。
でも、どちらも現在の姿は架け替えられたあとのもの。
せっかくなので、現役の鉄製の道路橋として、長崎にある日本最古の「出島橋」を紹介します。1890年に架けられ、1910年に現在の場所に移設されています。
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銘板のモチーフ、蝙蝠(こうもり)なんです。かわいい。
蝙蝠(こうもり)を中国読みすると、発音が「変福」と同じ。
つまり、「こうもり」は「福に変わる」ということで縁起がいいそうです。
へえ~、そうなんだ~と、先日、飛鳥山公園にある渋沢栄一の青淵文庫に街歩きに行ったら、こうもりを発見!
こうもりは縁起物なんですね。
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発祥の地がいっぱい馬車道
鉄の橋はナンバー2でしたが、横浜発祥のものはいくつかあります。
馬車道に集中しています。
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慶応3年(1867年)、馬車道の各商店が、店の前に柳と松の街路樹を植えたのが始まり。
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近代水道も横浜が最初ですね。
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大正時代には牛馬が陸上交通の主力だったとか。
ガソリンスタンドが点在しているようなものですかね。
ハマの拠点。横浜公園。
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ブラントンは、鉄道技師だったのに日本に近代灯台を作ってと頼まれて、たくさんの灯台を作りまくった日本近代灯台の父です。
灯台ばかりではなく、横浜の外国人居留地の街づくり、近代下水道も東京に先駆けて、整備されました。
外国人居留地の人口は下水道完成後も急激に増加し、下水道も改修されます。今度は日本人技師の三田善太郎による改修で、中華街の一部の区間では写真のような下水管が現役で活躍しているそうです。
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ブラントンの街づくり 火事を食い止めろ!
ブラントンは、横浜の外国人居留地を快適にするような都市計画案をつくりました。
そのひとつが、ブラントンの胸像が見つめる先にあるこの日本大通り。
車の数の割には、道幅が広いと思いませんか?この日本大通りの広い道幅は火災の被害を食い止めるためでした。
日本大通りを境にして、写真の左側が日本人居留地。右側が外国人居留地だったのです。ここには歴史的建造物がゴロゴロしています。
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今は、THE BAYS(ザ・ベイス)として、横浜DeNAベイスターズが運営する、スポーツを軸にした複合施設になっています。
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実は、日本で最初となる本格的な鉄筋コンクリート造のオフィス建築
遠藤於菟(おと)設計。
関東大震災で倒壊しなかったことから、脚光を浴びることになります。
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外国人居留地に対して見せつけるかのような the・帝冠様式です。
転車台はどこにある?
日本大通りの先には、実は鉄軌道と転車台があります。
それがここ。
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よーく見ると。。。写真の中央にガラスの床があります。
そこの下に、4基の転車台があります。是非、見に来てください。
これは、岸壁から横浜税関の輸入上屋の荷役を担ったんだとか。
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当初設計よりも実際は高くなり、横浜で一番高い建物だったそう。
おわりに
関内、馬車道、日本大通りをぶらぶらしてきました。
東京より歴史が浅いかもしれませんが、東京より再開発が進んでなくて、ここに紹介していない遺構がまだ残っていたりします。
2023/10/7(土)に、まいまい東京で土木偉人にフォーカスしながらガイドをする予定です。ご一緒に街歩きできたらと思っています。