一人飯に親父を想う
今日に夕飯は妻が不在で一人飯。正確には一人酒というべきだろう。
妻が用意してくれていた肴を突きつつ、福島産の日本酒を先ずは熱燗2合、次は冷でいただく。静かなとても静かな夕食。
ふと今は亡き父の事が頭を掠めた。母が62歳で他界し、四半世紀一人暮らしだった。家を建てる時に同居を打診したが、「好きな時に風呂に入って、好きな時に酒を飲む方がええ」とやんわり断れらた。
とはいうものの、一人の食事は空気感も含めて侘しいように思う。母が亡くなって来、時間や状況が許す限り週末や盆、正月には帰って食事をするようにした。
その時の父の決まり文句は「美味いのぅ」。決して高価な日本酒だからでなく、ええ刺身や寿司でなくでも、「独り飯:独り酒じゃあないから」だろうとオイラは理解していた。同居を断ったのも"好きな時に風呂に入れん、酒が飲めん"も自由気ままにマイペースを貫きたい気持ちの表れであろうが、同時に息子夫婦への「気兼ね」からくる居心地の悪さは妥協できなかったのではないだろうか。そして元気なうちは自分の家で好き勝手に生きたいという大正生まれの気骨というか気概だろう。
母が亡くなって2年後、親父は田んぼを埋めて800坪のゲートボール場にして休憩小屋まで設えていた。中にはストーブやテーブル、椅子、流し、トイレまであった。そこで仲間と練習の合間にお茶や酒を飲み、歓談していた。近隣と言わず、県内の大会へ出場していただいたメダルや盾が所狭しと並んでいた。当時は多くの年配者がゲートボールに熱中して練習や試合で殺人沙汰が報じられることもあり、「大丈夫かいのぅ?」と危惧していた時期もあった。
そして今年は父の13回忌。我々夫婦も孫もひ孫も13年の歳月が過ぎて大小、濃淡はあれ若い世代は成長し、そうでない世代は老化が著しい。一番大きいひ孫は9月から大学生になり、家を出て暮らし始める。