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栗蒸し羊羹

何故、自分は蒸し羊羹や外郎の類が好きなんだろうか?。そんなことは知らんがな!?。言わずもがなじゃな。

しかし、我ながらそんな疑問をずっと抱き続けてきたのも事実。長い間その解が見出せずにいた。しかし、ある時すぱっと解けたような気がした。

それはある時、親父とお袋が揃って千葉へ旅行に出かけた。その時のお土産が米屋の栗蒸し羊羹だった。

その昔、親父は千葉の津田沼に住んでいたみたいで成田山にも良く出掛けていたらしい。その関係での栗蒸し羊羹は思入れのあるものなんだろう。程なく、親父は中国戦線へ出征し、運良く生きて帰国でき、その結果、オイラと妹弟がいる。戦地でもきっと栗蒸し羊羹のことを強く念じていたのだろう。甘党か辛党かといえば、たぶん後者。しかし、如何せん戦時下の日本は全国民が甘いものに飢えていたと思う。その分、思いも昇華するほど強かったに違いない。ましてや、遠く離れた戦地で明日の命も分からぬ身では・・・。そして分身のオイラにもその思いが受け継がれているのでは・・・?と勝手に妄想を膨らませている。事実は小説よりも奇なり。

奇しくもオイラが住む県は「外郎」というお菓子がそれなりに有名である。現役時代に縁あってM大(院)の研究会へ参加してしたので出張の土産は『青柳外郎』、「きしめん」、「赤福」の3点セットが定番だった。赤福は名古屋とは関係ないが、妻や子供たちが大好物だったのでオマケで買っていた。しかし、「青柳外郎」は家族には極めて不評だった。例外的に長女は口合うらしかった。他の家族は食べ慣れたワラビの澱粉を使った外郎の食感がええのだろう。他にも宮崎県にも外郎があり、食感は異なる。やはり、所変われば品変るである。でも、オイラは全て「〇」だ。

同じ現役時代に所属学会の年会準備で徳島への出張が増えた時期があった。そのお陰で「阿波外郎」を知った。勿論、都度買って帰ったが、重量感は半端なし。味見した妻と娘曰く、「お父さんが作るものと同じもんが売られておるんじゃね」と驚いた様子。

お気に入りというか贔屓にしていた「ふくや」さんををネットで見たら"廃業"の文字が飛び込んできて驚いた。正直、「えっ・・・・」と言葉を失った。徳島大への出張の度にお土産は『ふくやの外郎』と決めていた。重量があるから避けたいけど家族の評判が良かっただけに廃業は残念!

バッグが重い理由は外郎だけでない。四国の酒(一升瓶)も半田麺も入っているのである。外郎は家族用、日本酒はオイラ用。妻が良く口にしていた言葉が思い出される。曰く、「何が目的で出張に行くん?」。答えて曰く、「仕事に決まっちょるじゃろ!」。その実、情報交換会という名の懇親会は濃密な時間であった。

蛇足ながら、徳島出張で知ったのは阿波外郎だけではない。麵食いのオイラにとって一番の収穫は「半田麺」という非常に腰のある素麺。素麺というより冷麦に近い太さだが、最高の麺。もし、「ラストミール」は何にするかと言われたらきっと『半田麺」と即答するはず。あの日から麺類の価値観が一新するほどの衝撃を受けた。唯一の問題は塩分が高いことか。

こんな記事を綴っていると久しぶりに「蒸し羊羹」を作ってみたくなった。しかし、オイラへの忖度は皆無の妻ならきっとまた言うだろう。「こんなゴムみたいなもんは食べれん」、「材料代がもったいない」と。

されど、ゴムの如く歯応えを持たせるためにはどれだけ手間暇、材料代を費やしたかそのプロセスを妻は知らない。確かに「結果がすべて」ではあるが、個人的には結果よりプロセスこそが大事と思っている。何故ならば、結果を変えるのはプロセスだからである。ホンマかい?。


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