この世

こんな書き方をすると叱られるかもしれないが、宗教やスピリチュアルと共に生きてる人は幸せだろうと思う。
お幸せですねと言うような揶揄する意味ではなく、本当に幸せな事だと思う。

宗教やスピリチュアルなことは私自身に対しては説明がつかない状態で、いや、あるいは宗教やスピリチュアルではない別の言葉で私自身に対して説明してしまう状態で、だから自分はそれらと共に生きて行くということが出来ないでいる。

生きていると言うことは物理現象で、この世を認識したり物事を考えたりしているのは錯覚のようなものだろうと思っている。

単なる物理現象なので、条件を変えれば結果は変わる。
ただそれだけのことで、意味と解釈するものではないのかもしれないと思う。
だから気持ちも条件が変われば、それに伴って変わるものだろうと思う。

そして人生は終われば、それまで。

何もなく何事もなく、消えるだけだと思っている。
宗教やスピリチュアルの世界ではそうではないと聞いている。
でも、私にとってはそういう事。

あるいは人生の終わりは、現在今私と思って持っているこの体を構成している物質が、別の物質に分解されて雲散霧消。
はいそれまでよと言う事だ。

とは言え人生を楽しむのは意外に難しくないと思っているが、つい一抹の侘しさが残ってしまう。
人生は所詮、物理現象だ。
何事かが起こっているだけで、それをどう認識するかは、見ている感じているその人の問題で、物理現象自体に変化はなく変わりはない。

とは言え自分の意識があるのは事実。
そしてその意識が、あれとこれは同じ事だが、あれとこれとは別の事だと感じてしまう。
感じてしまうのは、そこにある物とは別のものとして認識してしまう可能性の事だと思う。

生きているなら、楽しんでおけと思う。
そうでなければ、目の前の物理現象は単なる物理現象で、元々、単なるものが単なるものとしてしか感じられなくなる。
感じられなくなるのは自由だが、感じてしまうと、一抹の侘しさに繋がってしまう。

侘しさはなくても良いんだろう。
人生は単に物理現象で、今ここにあるようにあるんだから。

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