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「やってはならないことをやった」 「なすべきことをなさなかった」 どちらの罪が大きいのか考えてみた(アニメ銀英伝#22より)

「やってはならないことをやった」
「なすべきことをなさなかった」
どちらの罪が大きいのか?

これはNHK Eテレで8月31日に放送されたアニメ『銀河英雄伝説 Die Neue These』の中の言葉です。

この言葉を考察してグラフと共にまとめてみました。

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今回の考察のまとめは以下の通りです。

「志」が高い人ほど罪の大きさは
「やってはならないことをやった」<「なすべきことをなさなかった」
となりやすい

なぜその様な考えに至ったか、これだけでは意味不明だと思いますので解説させて頂きます。

はじめに

「やってはならないことをやった」、例えば他人に暴力を振るうとか悪口を言うことが該当すると思います。

「なすべきことをなさなかった」とは例えば周りで暴力を振るわれたり悪口を言われたりしているのを見た時に見て見ぬ振りをすることが該当するのではないでしょうか。

このどちらの罪が大きいのか?

非常に難しい問題ですのでシンプルにするため2つの軸で考える様にしました。

便宜上、
縦の軸を「良心」と「呵責」もしくは「志(こころざし)」と「機会損失」
横軸を「加点」と「減点」としました。



「ありたい自分」と「なりたい自分」

まずはじめに

「やってはならないことをやる」→「ありたい自分」に背くこと

「なすべきことをなさなかった」→「なりたい自分」に背くこと

と定義しました。

「ありたい自分」、「なりたい自分」とはそれぞれ以下の通りです。

「ありたい自分」=今の自分の中で大事にしたい部分、今、ミッション、良心
「なりたい自分」=目指したい自分、未来、ビジョン、志

と言うことは

「やってはならないことをやる」→「良心」に背くこと→「良心の呵責」が生まれる行動

「なすべきことをなさなかった」→「志」に背くこと→「志」を成就する機会を失わせる行動(機会損失)

とも定義できます。

今回のデザインでは縦軸の上下に「良心」と「呵責」もしくは「志」と「機会損失」という様に置かせて頂きました。

ハーズバーグの二要因理論

ハーズバーグの二要因理論(動機付け・衛生理論)とは、アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが提唱した職務満足および職務不満足を引き起こす要因に関する理論です。
人間の仕事における満足度は、ある特定の要因が満たされると満足度が上がり、不足すると満足度が下がるということではなくて、「満足」に関わる要因(動機付け要因)と「不満足」に関わる要因(衛生要因)は別のものであるとする考え方です。

ごくごく簡単にすると

「動機づけ要因」=加点方式
「衛星要因」=減点方式

と言えます。

これを前段の「ありたい自分」、「なりたい自分」と掛け合わせて考えますと
「ありたい自分」はそうあれた際の「満足」よりもそうあれなかった際の「不満足」が大きいので「衛星要因」
「なりたい自分」はなれなかった際の「不満足」よりもなれた際の「満足」が大きいので「動機づけ要因」
となります。

ということは

「動機づけ要因」=なりたい自分(志)=加点方式
「衛星要因」=ありたい自分(良心)=減点方式

と言えます。

罪と罰

ここで「罪」という言葉を詳しく調べてみますと

罪=規範や倫理に反する行為
<出所;ウィキペディアより>

と書いてあります。

規範に反した「罪」には「罰」を持って償うという制度があります。

罪は罰によって減免される

ということです。

もしそうであるならば、罪の大きさというものは罰を受けることで縮小し大きさは限定的となるのではないでしょうか。

しかしながら、「やってはいけないことをやった」場合は罰は規範により明確化されていますが、「なすべきことをなさなかった」場合においてそれはありません。

そうであれば「なすべきことをなさなかった」場合の機会損失は減免されることはないということになります。

志の高さと機会損失

「なすべきことをなした」場合の効果を「志」と「加点」で表すとすると、「なすべきことをなさなかった」場合はその効果が0となりますので機会損失の大きさは横軸に対して線対称になります。

「なすべきことをなした」際の効果 
=「なすべきことをなさなかった」際の罪の大きさ
=機会損失の大きさ


また、「志」が高ければ高いほど効果が大きくなることを考えると

「志」が高いほど「なすべきことをなさなかった」際の機会損失も大きくなる

と言えます。

まとめ

これまでの説明により

「やってはならないことをやった」
「なすべきことをなさなかった」
どちらの罪が大きいのか?

という命題に対して

どちらが大きいかを示すのは難しいが、
「やってはならないことをやった」際の方が
罰による減免効果があり大きさは限定的
「志」が高いほど
「なすべきことをなさなかった」際の機会損失は大きい

の2点が言えることです。

ということは

「志」が高い人ほど罪の大きさは
「やってはならないことをやった」<「なすべきことをなさなかった」
となりやすい

ということになります。

「志」が高い人の方がやるべきことが出来なかったダメージが大きいというのは何となくイメージができます。

最後に

今回noteで初めて思考デザインを載せてみました。

これもまた実験ということで完成度の低さはご容赦下さい。

一番最後に今回の命題の意味がわかる記事がありますのでよろしければ併せてご覧ください。

最後までお読み頂きありがとうございました。(了)

「やってはならないことをやった」
「なすべきことをなさなかった」
どちらの罪が大きいのか?

(※言葉の意味についてはこちらの記事をお読みください↓↓↓)




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