ChatGPTに質の高いエッセイを書かせるために一番大事な設定
こんにちは、ドバイです。
ChatGPTは文章作成能力に優れているとされ、テーマを与えればエッセイを出力します。しかしきちんとChatGPTのことをわかって指示を出さないと下記のスクショのように残念なアウトプットが返ってきます。
どうですか?めちゃくちゃダラダラとした文章で読みづらいです。一体何回「また」という接続詞を連発するのか…
こうしたアウトプットになっている要因は大きく二つです。
日本人が思っているより「エッセイ」という言葉は曖昧
エッセイ(essay)という単語の意味はアメリカでは自分の主張をしっかりと展開するとための小論・評論というニュアンスです。
しかし日本で「エッセイ」という言葉は先のニュアンスに加え、随筆、つまり自分の思っていることを自由に綴る文体もエッセイに含まれています。実際「エッセイ 和訳」で検索すると「随筆」が提示されるはずです。
ようするに日本語で「エッセイを書け」という指示はChatGPTにとってどんな文章を返したらいいのか、非常にわかりづらい指示なのです。
ChatGPTは「エッセイ」の構造がわからない
私たちはいいエッセイを書こうとしたとき、何かしらのフレームワークを活用してます。「序文、本文、結論」「起承転結」などです。
しかしChatGPTはあくまで見様見真似でエッセイを書いているだけで、こうしたフレームワークが念頭にあるわけではないのです。そのため構造のはっきりしない文章を書いてしまうのです。
質の高いエッセイを書かせるには
ここまでChatGPTがいいエッセイを書けない理由として「エッセイという言葉の意味するところが曖昧」「エッセイの構造がわからない」の2点を挙げました。
この二つに共通しているのはChatGPTにとって必要な情報が足りていないこと。ならば必要としている情報をあらかじめ与えてあげれば解決します。
「Five Paragraph Essay」というのはアメリカでエッセイの書き方を子供に教える際に使われているフレームワークです。
このFive Paragraph Essayに沿って書くよう指示しておくことで、ChatGPTは求められているのが自由な文体の随筆ではなく、小論・評論であること、どういう構造でエッセイを書けばいいのか理解してくれます。
上記の指示でChatGPTが書いたエッセイがこちらです。フレームワークが残ってしまっているのと、段落間の繋がりがスムーズでないといった修正点はありますが、このエッセイを通して何が言いたいのかが元のアウトプットと比べて段違いにハッキリしました。
いかがでしたでしょうか?
使うフレームワークは必ずしもFive Paragraph Essayである必要はなく、大事なのはどういう構造の文章を書けばいいのかChatGPTに伝えることです。この考え方を応用すれば例えば就活のエントリーシートをChatGPTに書いてもらう、なんてこともできると思います笑。
最期におまけとしてChatGBTへの指示をもう少し細かくしたり、出力されたものに多少のダメ出しをして推敲してもらったものを載せておきます。ChatGPT3.5で作成してますので、ChatGPT4ならさらにクオリティが上がると思います。興味ある方は読んでみてください。
ここまでお読み頂きありがとうございました!
日本の高齢化社会を救うために、移民を積極的に受け入れるべき理由
日本は高齢化社会が進んでおり、ますます深刻な人手不足が生じています。この問題を解決するためには、多くの日本人が受け入れがたい移民政策を取り入れることが不可欠です。本稿では、なぜ移民政策を取り入れることが必要であるかを論じます。
日本は高齢化率が世界でも有数の水準であり、労働人口が減少しています。この状況下で、製造業や農業などの基幹産業を維持するためには、多くの労働力が必要です。このため、移民を積極的に受け入れることが重要です。
移民を積極的に受け入れることにより、多様性が増し、経済の活性化につながります。外国人労働者が入ってくることにより、様々な分野での新たなビジネスの創出が期待できます。また、多文化共生によって、国際化につながり、世界からの評価も高まるでしょう。
しかし、日本には移民に対する偏見や差別的な風潮があることも確かです。しかし、これらの偏見は、国内にいる外国人の数が少ないことが原因であると考えられます。日本が移民を受け入れることで、多様性に対する理解が深まり、偏見が薄れることが期待できます。
以上が、日本の高齢化社会を救うために移民を積極的に受け入れるべき理由です。移民に対する不安や偏見はあるかもしれませんが、多様な人々が集まってできた社会であり、移民を受け入れることで社会全体が豊かになることが期待できます。将来的な日本の発展を見据え、移民を受け入れることは必要不可欠です。