ボックスシート懐旅情、浅草から列車に揺られたあの日
20400型が東武日光線(新栃木以北)に入り始めました。まだ運用も限定されているようですが、今後の運用拡大に注目です。
2017年4月15日土曜日。都内はポカポカ陽気のこの日、浅草から「東武快速」で会津田島まで乗り通す旅に出ました。
この翌週となる21日金曜日にダイヤ改正が予定されていて、東武スカイツリーライン・日光線系統の快速・区間快速の廃止が発表されていました。
最後の週末ということで惜しみ乗車で混雑するかと思いきや、7時半ごろの浅草駅は人もまばら。快速の定位置である5番線のりばに向かいます。
2020年現在では立ち入ることができない5番線。快速・区間快速は東武日光方面と鬼怒川線方面とで併結して走るため、ホーム上にはどこへ向かう車両の乗車位置なのか、天井や柱、ホーム床とあらゆるところに案内がされています。
2009年ダイヤ改正までは前2両が東武日光、後ろ4両が鬼怒川線方面でしたが、以降は逆転しています。
8時12分、回送で6050系が入線してきました。
浅草駅は大変狭小なため、前2両分は急カーブ上にホームが作られています。そのため、各出入口に渡り板を設置するのですが、現在でも特急列車でこの光景を見ることができます。
行先を回送から「東武日光(新藤原)会津田島」の幕に変更して発車を待ちます。3行表示は前身となる6000系時代から行われているのですが、方向が変わるわけではない新藤原での中2両の切り離しも(新藤原)で表現しているところが特長です。当時のダイヤではすでに存在しませんでしたが、(鬼怒川温泉)や(鬼怒川公園)も用意されています。
そして車内にも方向幕が設置されているのが6050系。終点会津田島まで向かう前2両は上部に(鬼怒川温泉。会津高原尾瀬口)とありますが、これは方面を表しています。近年の車両ではLEDやLCDによる動的な案内が可能ですが、当時この方法は画期的だったのではないでしょうか。
複々線を快走
定刻8時10分に浅草を出発します。隅田川を渡り、東京スカイツリーを横目に下町をすり抜けていきます。北千住に到着すると1両目についてはボックスシートも空区画はなくなり、立客も発生してきました。
北千住からの複々線区間では普通や区間急行を"快足"で追い抜き、春日部に到着。春日部からは埼玉東部地区や大宮方面からの観光客を乗せて出発。今ではすべての日光線特急が春日部に停まりますが、それでも追加料金不要の快速は人気列車です。
栃木、新鹿沼と少しずつ乗客を降ろし、下今市までやってきました。浅草から2時間が経過、ここで後ろ2両の東武日光行きとがお別れです。
行先方向幕も変更され、定刻通り鬼怒川線方面へ出発します。
取材日:2017年4月15日
【写真解説】
1~7枚目:浅草
8枚目:牛田~北千住間
9枚目:春日部
10枚目:下今市