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宮城島の「あごーりば食堂」でおばぁの沖縄そばと再会した話
私は「癒しの島」沖縄県に住む沖縄県民。
日本中、いや、世界中の旅行者が羨む美しい海に囲まれた場所に住んでいながら、時折心が荒んでしまうことがある。
「癒しの島」に住んでいてもストレスは溜まるもの。
社会の荒波にもまれ、他人の評価が気になり、「自分の市場価値」なんてことばかり意識してしまう毎日。
社会人になってもう何年も経つのに、未だ自分の仕事ぶりにはあまり自信が持てない。
自信に溢れていた学生時代、私は何を考えて毎日を過ごしていたんだっけ?
何を根拠に自信に満ち溢れていたのだろう?
さっぱりわからない。
そんなことを考えていたら、自分で選んだはずのこの人生に「どうして?」と疑問を投げかけるようになっていた。
学生時代の青春、宮城島へ行った
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社会人の私が投げかけてくる「どうして?」は、日に日に大きくなり、やがて自分自身を攻撃し始めた。
この「どうして?」は、はなから疑問ではなく、自分を否定する言葉だったのだ。
学生時代の私が今の私を見たらどう思うのだろう?
そんなことを考えていると、学生時代の頃によく遊びに行っていた宮城島がパッと頭に浮かんだ。
自信に満ち溢れ、毎日をワクワクと過ごしていた学生時代。
沖縄本島から橋を経由して車で気軽に行ける離島の一つ、宮城島へ旅行気分を味わいにドライブへ何度も行った。
夜な夜な、友人たちと車に乗って、当時はあまり知られていなかった無名のビーチで星を眺めたり、時には酒盛りをすることも。
「あの時は楽しかったなぁ」
と、聞き覚えのあるようなセリフがふと口から漏れた。
こりゃ、いかん。私は、とっさにそう思った。
「あの時は楽しかったなぁ」が出たら、赤信号。
そうだ、もう一度宮城島へ行ってみよう。
「あの時は、楽しかった」けど、じゃあ、今は?
どんな答えが欲しいのかもわからない。
だけど、思い出がたくさん詰まった宮城島へ、社会人になってから始めて行くことにした。
学生時代の私は、宮城島のような離島に来ると、海とおしゃれなカフェを目指した。
また、自分が住んでいる中南部のコンクリートジャングルとは違う、離島の雰囲気にワクワクしていた気がする。
たぶん「さぁ、冒険だ!」という和田あき子の歌声が聞こえていたのかもしれない。
社会人になって訪れた宮城島は、良い意味で変わっていなかった。
ちらほら新しい建物ができているものの、木造瓦屋根の家屋や味のあるコンクリート家屋が青空に映える。
その中で、以前はなかった食堂を発見した。
古民家を利用した「あごーりば食堂」という小さな食堂だった。
あごーりば食堂
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あごーりば食堂は、宮城島の住宅地の中にある。
「沖縄の食堂」って雰囲気があって、初めてでも入りやすい感じの食堂だ。
地域団体SU-TEが運営するあごーりば食堂。
地元住民が中心となり築60年の古民家を改修して作られた食堂なのだそう。
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地元の人たちと観光客の楽しそうな会話に、サンシンの音が流れる。
ここには、あたたかい時間が流れていた。
古民家ならではの雰囲気が良い。
レトロでおしゃれなインテリアの店内。
だけど、どこか「おばぁの家」感がして懐かしさも感じる。
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この日のメニューはこんな感じ。
日によってメニューが変わるみたいだ。
この日いただいた「はなりそば」は600円。
その他のメニューも地元価格でありがたい。
物価高騰が嘆かれるこのご時世に、このお値段。
(先日訪れた、観光地の沖縄そばの約半分の値段!)
おばぁの沖縄そばとの再会
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注文した「はなりそば」。
三枚肉、玉子焼き、かまぼこ、ネギがトッピングされている。
味の方は、出汁の味がしっかりしていて、豚肉の香りもしっかり。
豚肉の味と香りがスープに溶け込んでいる沖縄そばは、久しぶりだ。
語弊があったら申し訳ないけれど、私はこういう「ブタブタしい」沖縄そばが大好きだ。
そして、この日食べたそばは、なぜか「懐かしいなー」という気持ちにさせてた。
なぜだろう。
そうだ。
うちのおばぁの沖縄そばと同じ味がするからだ。
麺をすするごとに、何年も前に天国へ行ってしまったおばぁが、台所で料理をしている姿が目に浮かんだ。
おばぁの家に遊びに行くと、いつも作ってくれた沖縄そば。
おばぁの沖縄そばは、油こってり。
あごーりば食堂のはなりそばの10倍くらい油が浮いていた。
ちなみに、普通は油こってりな沖縄そばってあまり見かけない。
ラーメンくらい油こってりなおばぁの沖縄そば。
うちの母曰く、おばぁの沖縄そばは、麺にラードを絡めていたらしい。
なんてハイカロリー。
だけど、美味しいんだな。これが。
油こってりで、ブタブタしい。
時間をかけてカツオの出汁を丁寧に取っていたからか、本当に美味しかった。
おばぁは何年も前に天国に行ってしまった。
だから、もうおばぁの沖縄そばを食べることはできないと思っていた。
おばぁの言葉
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はなりそばをすするごとに、おばぁとの思い出が鮮明に蘇った。
おばぁの家に泊まりに行くと、おばぁは満面の笑顔で
「元気してたかぁ〜?ぐふっ、ぐふふっ!」
と独特な笑い声で迎えてくれた。
そして、私が滞在中は毎日美味しいご飯をたくさん作ってくれた。
曲がった腰に時折手を添え、ニコニコ笑いながら朝から山盛りの天ぷらを揚げてくれたりなんかして。
「もうお腹いっぱいだよ」と言っても、どんどんご飯が出てきた。
この現象を、沖縄では俗に「おばぁのカメーカメー(食べなさい)攻撃」と言う。
おばぁとの思い出の中で印象的な言葉がある。
それは、私がおばぁの家から親戚と一緒に買い物へ行こうとした時のこと。
玄関で靴を履きながら
「帰りに何か買ってきて欲しいのとかある?」
と、何気なく聞いた私におばぁが返した言葉だった。
「あんたが無事に帰って来てくれたら、何もいらない」
当時小学生だった私は、「大げさだなぁ」と思いながらも心底嬉しかったのを覚えている。
それだけじゃない。
おばぁの家に遊びに行くたびに
「あんたが来てくれたから、おばぁちゃん嬉しいぃ〜。ぐふふ!」
と、ありがたい神様でも崇めるみたいに私の来訪を喜んでくれた。
当時幼かった私は、素直なおばぁの言葉をこそばゆく感じながらも、何か満ち足りたような気持ちになっていた。
この時の感情を言葉で表すならば
「あぁ、私、ここにいるだけでいいんだ」
という安心感だったのかもしれない。
大人になった私は、他人の評価ばかりを気にして「自分の市場価値」を意識する毎日。
取るに足りない「自分の価値」に嘆き、あんなに満ち溢れていた自信は社会の荒波に揉まれて削れ落ちてしまっていた。
たぶん、実際は忘れていただけで、ちゃんと自分の中にあった。
「いるだけで十分に価値がある」という証明をしてくれていたおばぁ。
今思い返せば、おばぁだけではなく、同じような言葉を家族や友人がこれまでにたくさんかけてくれていた。
学生時代に満ち溢れていた自信は、そういった身近な人たちの言葉から形作られていたのかもしれない。
おばぁとの思い出と、自分の中にあった自信を思い出させてくれた「あごーりば食堂」。
今度は、実家の家族も一緒に連れて行こうと思う。
おばぁの話をもう一つ
これは大人になって、おばぁから聞いた話。
戦時中、空襲が続き、混乱が続いていたのある日のこと。
おばぁは「あんたの家族と親戚は全員死んだ」と知り合いから聞かされたらしい。
(実際は、家族も親戚も何人か生き残っていた)
空襲警報が鳴り、止まない爆撃の中、おばぁは「もう死んでもいいや」と泣きながら防空壕の上で一晩中正座をして「何か」を待っていたそうだ。
おばぁが正座をしていた防空壕の近くに何度も爆弾が落ちた。
爆風と砂埃が顔に当たって「あぁ、今度こそ」と何度も思ったそうだ。
しかし、爆弾はおばぁには当たらなかった。
おばぁは生き残った。
そして、孫がたくさんできて、腰が曲がるまで長生きした。
「あの日、おばぁちゃんは一度死んだから、今こうやって楽しく生きてるんだよ〜。ぐふふっ!」
と、無邪気な笑顔でそう言ったおばぁの言葉は説得力があった。
そんな辛い経験をしたからこそ、おばぁは何よりも家族を大切にしていた。
家族や親戚が行事などで集まる時間を、誰よりも喜んでいた気がする。
あぁ、なんだかおばぁに会いたくなった!
今度またあごーりば食堂の沖縄そばを食べに行こう。