赤月月第3回感想


『ゆに感』という公認用語の誕生(20分18秒から)

『ゆに感』ってなんだよ……。

赤月ゆに以外で一番赤月ゆにらしさを追い求めていたはずの私が、たぶん一番困惑している。「今日は12月5日、国際お茶の日」と話し始める(=動画の中の赤月ゆにみたいなことをする)ことが『ゆに感』なんだろうか?

私に言わせればそれは『赤月ゆに』のらしさではなく、『今日は何の日?』らしさなのではないか? いや、でも動画の中の赤月ゆにと実際にお茶する赤月ゆにの混同みたいな話だから、『動画の赤月ゆにらしさ』が『ゆに感』なのか? え、でもそれだと『インターネット吸血鬼』じゃなくて『動画吸血鬼』みたいなニュアンスが生じてない? ……みたいなことはともかく。

本人が、眷属にとって赤月ゆにらしさを感じるのは動画の中の赤月ゆにの姿だろうと考えている(らしい)ことはとりあえず把握した。

そうなんだろうか?


私の考える、私の感じる《ゆに感》

私の感じる《ゆに感》は、端的に言ってしまえば吸血鬼アピールの部分だ。
自分の過去作から例を引用するなら、

不老不死である赤月ゆにちゃんは絶対にスタン落ちしないから、君たちも安心して応援してくれていい。これからもよろしく頼むぞ。

今日は何の日? (7月7日)より

とか

人間は弱い。そして愚かだ。
だがそのことを自覚することで対策を講じることができる。
私は君たち眷属のそういう所を尊敬しているし、心の底から愛おしく思うよ。

お……より

とか。

変わり種で例を挙げるなら、赤月月第2回を『魔女に与える鉄槌』に例えたりインターネット吸血鬼としての特性に沿ってお悩みにお返事したり、或いは『ゆに』という名前をネタにしてみたり


他の人では言えない、彼女自身の設定に由来した、彼女だからこそ言える話(≒多くは吸血鬼、不老不死としての性質だろう)の部分に私は《ゆに感》を感じる。

だから、今回の「ごめん、待った?」に対する私の回答はこうだ。
「いや、吸血鬼にとっては一瞬みたいなものから気にしなくていい」

そういう意味では、今回のラジオで最も《ゆに感》を強く感じたのは、吸血鬼と人間の関係を人間とハムスターに例える部分。吸血鬼としての価値観について質問されてるから当然と言えば当然なんだけど、やはり知的な吸血鬼らしいお返事をしていたと思う。

さっき投稿した

でも触れた話だけど、私はVtuberがVtuberであるメリットの一つをこういう、『その人だからこそ』の部分に感じている。詳しくはリンク先参照。


物真似という行為

……とはいえ、《ゆに感》ある言動だけを繰り返すのが本当に赤月ゆにらしいのかは、自分でもいくらか批判の余地を感じているのは確かだ。

架空のラジオで綴った一つ目の理由、『赤月ゆにがいつも赤月ゆにらしいとは限らない』の話を参照)

ありのままの本人と、本人らしくあろうと努力し続ける偽物、どちらがより本人らしいか、或いはどちらがより優れているか(あくまで大雑把な話なので『優れる』の定義とかは放置するけど)。

そういった話は、西尾維新先生が何度も何度も語っていた気がするし、そういえば西尾維新先生も吸血鬼を半主役に据えた(もしくは半吸血鬼を主役に据えた)小説で一躍知名度をあげたんだっけ。
話の収集がつかなくなりそうだから、今日はここまで。

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つくしなづな
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