双曲割引
「今すぐ10,000円もらえるか、一週間後にX円もらえるかが選べるとして、Xがいくらなら両方の選択肢が釣り合う？」と聞くと、ほとんどの人は10,000円よりはいくらか大きい値を答えるらしい。
これに似た思考実験として、「今すぐ10,000円もらえるか、Y日後に11,000円もらえるかが選べるとして、Yがいくらなら両方の選択肢が釣り合う？」と日数の方を変数にして聞くこともできる。
多くの人が「同じ利益なら遠い将来よりも今すぐ手に入れたい」と考えるこの傾向・現象を、経済学だか心理学だかの用語で双曲割引と言うらしい。
私が参加した実験
エッセイらしい話をしよう。
私がにとっての「エッセイらしさ」の基準はいつも、筆者が急に自身の経験を語り始めるか否かにある。
今となっては昔のことだし、何より一般的な話だろうから、ここに書いても大丈夫だと思うけれど、以前、これに関する実験の被験者のバイトをやったことがある。大まかな内容としては、冒頭に書いた二種類の質問の数値だけを変えた質問を繰り返しされて、それに答えるというものだ。
それらに答える最中、ちょうどひとつの思考実験として、我ながら面白いことを考えていたので話がしたい。
私に対する思考実験：金額X
前提として、急に手に入った小さなお金が私の生活や人生を変えることはない。10万円や100万円ならともかく、私は今すぐに数千円や1、2万円程度のお金をもらったところで、（しばらくいくらか贅沢をしてしまうことを除けば）本当になんということはない、銀行からお金をおろすのが少し遅れるだけのことでしかないのだ。
だから、私にとって、今すぐの10,000円と一週間後のX円は、X≧10,001であれば後者の方が価値がある（つまり二つの選択肢は釣り合っていない）。一方で、X=10,000ならどうか。他の人が待たされるならその分多くもらうことにしっくり来ているらしいと、私が認識しているからなんとなく損をした気分になるが、X=10,001の場合よりはよっぽどふたつの選択肢同士はイコールに近い。もちろん『一週間後』の部分が変動しても同じことだ。
扱われる金額や期間がよっぽどでない限り、私は一定のアルゴリズムに従ってXの空欄を埋めるだろう。
さすがに私が社会人になるくらいに遠い将来だと、同じ金額でも価値が変動しているから話は別なのだが、不幸にも（？）実験では一年未満の日数しか提示されることはなかった
私に対する思考実験：日数Y
『今すぐ10,000円』に釣り合う『Y日後の11,000円』のYは何か。
先述の通り、私は待つ期間の長さに全く頓着しない。ゆえに、1円でも多くもらえている時点で常に『今すぐ10,000円』＜『Y日後の11,000円』なのだ。釣り合う余地がない。
……本当にそうだろうか？
私が期間の長さに頓着しないのは、私が大学生（ないと思うが、大学院生もだ）であるうちだけだ。新社会人や中年、老人にとっての11,000円は、大学生にとっての11,000円とは価値が異なる。
それまでに私が自殺していないとすれば、きっと社会人にとっての11,000円は大学生にとっての11,000円よりも価値が軽い。10年後や20年後には自分が11,000円もらう約束をしたことも忘れているだろうから、実質的に「今すぐ11,000円もらう」ことと同義だ。釣り合いがとれるYのひとつは、私が約束を忘れるくらい遠くの将来（例えば10年後や20年後）の地点にあると思う。
釣り合いがとれるかもしれない時点は他にもある。私が老人になった時だ。
もしも今、「50年後に11,000円をもらう」と約束を取りつけたとしたら、きっと一生忘れない思い出になると思う。「73歳の1月末に、50年前の自分から11,000円を受け取れるのだ」と、程よく些細な希望を持ちながら、友人に話したりnoteに書いたりして、自分が呆けたか呆けてないか、死んだか死にかけているかの時に11,000円をもらう。そのお金で仲間に酒を奢ったり、誰かにプレゼントを贈ったり、あるいは喜びを分け合う他人がいないことを再確認したりする――いずれにせよ、これはもはや金銭の話ではない。
『今すぐ手に入る10,000円』と天秤にかけられているのは『過去の思い出を懐かしみつつ、未来に希望を見出そうとする……これからの50年間を少しでもそういうものにしようとする営み』だ。
その時々の幸福量を積分して比較しようとは到底思えないが、ここま来ればようやく感覚的に、『今すぐ10,000円』とこれのどちらを選んでも大差がない（釣り合っている）ように感じられる。もう一つの釣り合う点は、Y=50年の地点にあったのだ。
ちなみに私が参加した実験ではYの単位は"日"に固定されていたので、繰り返しY=15000と記入するハメになった。
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