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あれこれ考えている間に

休日2日目。相変わらずネトフリのシェルドンにハマっている。隙間時間を見つけては見ているのだが、気付けば隙間ではなくシェルドン視聴のための時間になっているのは面白い。

以前にこういったnoteを書いたことがあった私だが、今回のシェルドン視聴に当てはまっている。のめり込んでしまい非生産的な時間を過ごす自分が怖いのだ。あー楽しかったー!と見終わった次に訪れる虚無感。

それは、映画やドラマ視聴の時間が現実世界と分断された逃避の時間になっているからなのだと気付いた。

ならば、何をそんなに逃避したくなるものがあるのだろうか?

クリシュナムルティの「恐怖なしに生きる」に書かれていた話しが降り注ぐ。

恐怖を抱いたことがあるでしょうか。恐怖を抱き続け、恐怖から離れようとせず、それを抑圧したり超越しようとしたり、またあらゆる手を打とうとしたりせず、その深みを、信じがたい捉えがたさを、ただひたすら見るということがあるでしょうか。いかなる目的ももたず、何一つ試みようともしないでただ恐怖を見つめているとき、人は初めてそのすべてを知ることができるのです。

クリシュナムルティ.恐怖なしに生きる.P125

っと事のくだりを書くだけで1日が終わった。
生計を立てるための活動もある中で、自分の内面と向き合うということは、
回りくどく自分の恐れを観察するのではなく、直に恐れを見る必要があるのだと知る。

等身大はそこからだな。

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