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生活の中から見た景色。 Day10

彼方 見やるの 遠くの サヨナラ
そよ風と 見やるの 遠くの 瞬き
I don't wanna face it now any guess's never before
晴れたその時 棚引く問いと

evoke - Spangle call Lilli line

昔から「境界線を引く」のが苦手だった。
こっからここまでが水色、こっからここまでが青色。
こっからここまでがオタマジャクシ、こっからここまでがカエル。
こっからここまでが都会、こっからここまでが田舎。
こっからここまでが深夜、こっからここまでが明朝。
こっからここまでが子供、こっからここまでが大人。
こっからここまでが好き、こっからここまでが嫌い。
同じように「けじめをつける」のもまた下手だった。

僕の人生の選択は全て成り行き、思いつきでここまできた。
家が近所だからというだけの理由で大好きな友達と別れ一人中学受験をした。
その時はただ家を出たいという一心で大学は寒空の東北に決めた。
この先の人生が見えてしまったような気がして研究を辞め急いで就職した。

そのどれにおいても自伝に載せるようなエピソードはないし、掛け軸に飾るような文句もない。同じように「けじめ」もそこにない。
僕にはそれで良かった。
僕にはそれが"ちょうど"良かった。

けじめをつけるというのは、何かしらそれまでの「存在」にサヨナラをいうことだ、と思う。草が枯れ、花が散るように、結局のところ僕はとことんサヨナラが苦手なのだ。

常に前を向いているように見えて、しっかりと後ろを向くことができない。
ふとこのことを痛感させられて「致命的だな」と思った。(一種の欠陥のようなものだ。)

きっと振り返ると後悔の面々がこちらをおぞましい顔をそして睨んでいるに違いない。ただ今はそれを無視して進んでいるに過ぎない。

生きる理由は「そんな無残に無視され続けている僕の過去たちをいつかしっかりと向き合って、そして肯定してあげる」ためだ。

それ以外に他ならない。
苦しいか?
わからない。でもそれ以外の術を知らない。

年明けに虫歯の治療をした。
人生で初めての経験だった。
左下の奥歯を削った。
先生にされるがまま、1時間かそこらの治療だったが、やる前と後で何かが変わっていた。「途切れた」と言ったほうが近いかもしれない。

帰り道、少し足取りが軽くなった気がしたが、気のせいだった気もする。

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