どっちにも問題があるんじゃないの?は、ずるい言葉なのか。

暇な主婦なのでよくYouTubeを見ているんですが、最近は見ながら寝てしまったり本当に体力づくりを怠ってきた老人(私)はYouTubeを見続ける体力すらないっていうくそだめっぷりですよ。
本を読む、も然り。若い頃は徹夜する勢いで止められなかったのに今じゃ数ページ捲るのも一苦労です。寝ちゃう。とにかく寝てしまう今日の私の疑問はこのタイトルです。

どっちも悪い所があったんじゃない?
お互いに問題点があると思うんだよね。

みたいなやつ。

さて、私は割とありとあらゆることにおいてこの言葉を繰り出すタイプ。
得意技と言ってもいい、いや必殺技か。
この長い戦い・・・この俺の技で終わらせる!
くらいの気概です。私だけの話だけど。
で、この言葉を言う時はもうめんどくせぇなという気持ちは何割か占めるにしてもホントの本気でどっちもどっちだ、と思ってもいる。つーか、なにかトラブルがあったとして通り魔とか強盗とか痴漢とかそういう明らかな犯罪は当然犯人しか悪くないから置いといて、人間関係っていうかそっちの場合はどっちかだけが悪いって事あるんか?10:0って事あるの?逆に。
一方的に逆恨みで家を燃やされる等、身に覚えのない事もあるっちゃあるでしょう。その場合はどっちもどっちってことではないしそれは犯罪だし犯罪という明確な話はしてなくて、あくまで思考とか意見の食い違いとか言った言わない謝った謝ってないとか、捉え方の相違によるどっちもどっち。これ、本当にどっちもどっちだと思っちゃうしそれを許す許せないの範囲もすっごい人それぞれだと思うし、そんな時はついつい
どっちも悪い所があったんじゃない?
みたいなことを本気で思ってしまう。
この場合、私は私の保身の為にうやむやな台詞でお茶を濁そうとしているんではない。のだが、どうもこれは“ずるい”と受け取られるらしい。ずるい。ずるいか・・・まあ、それもどうでもいいっちゃいいんだけどね。
傷ついた感情には寄り添いたいから、どちらの言い分にも寄り添う。だってどっちも傷ついているんだよ。どっちも血を流しているのに包帯片方にしか巻かず片方はほっとくとか出来ねえよ。
しかし、それはずるいことみたいだ。そして自分を傷つけた相手にも包帯を巻く私に「ずるいよね、偽善者だね」って言うんだ。

ずるい言葉をかけられた人は、そのずるい言葉を放った人とは距離を置いたほうがいいらしい。なぜならずるいから。

まあ。そうしたいなら。止めないけど。
私は今もわからない、結局距離を置いたのは実際は私のほうだからあれが正解だったのかは今も謎のままだ。

ずるい人間だったらもっと賢く立ち回れたんではないのかと、混乱は続くよどこまでも。

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