第5代皇帝
13世紀初頭にモンゴル高原の騎馬民族を統一して誕生したモンゴル帝国は、強力な軍事力による征服活動によって、13世紀後半には朝鮮半島、中国から中央アジア、ウクライナ、イラクに至る広大な地域を支配するまでになりました。
歴代のモンゴル帝国の皇帝の中で、日本で名前が知られているのは初代のチンギス・カンと5代目のクビライでしょう。
チンギス・カンとクビライが登場する小説はたくさんありますが、チンギス・カンを主人公にした小説は多い一方で、クビライは敵役か脇役が多く、クビライを主人公にした小説はほとんど見かけません。
めったに見かけないクビライを主人公にした小説があるのを知ったのは数年前ですが、クビライについては歴史の解説書で何度か読んだことがあり、クビライの人生を小説でも読もうという気にはなりませんでした。
しかし先週になって気が変わり、モンゴル帝国の内外で次々に起きる政治と軍事の抗争をクビライが処理していく様を、小説家がどんなふうに表現するのか読みたくなりました。
読んだ本は小前亮著『中原を翔ける狼・覇王クビライ』です。
小説は中国雲南省にあった大理国をフビライ率いるモンゴル軍が、1252年に攻撃する場面から始まり、モンゴル人、漢人、ウイグル人、色目人と呼ばれた帝国西部出身者など雑多な民族からなる軍人、文官、側近、商人、モンゴル帝国皇族などの何十人もの多彩な登場人物とクビライが、どのような思惑で関係を持ち行動したのか、その結果、モンゴル帝国の歴史で何が起こったのかを追いながら、クビライが歴史書に登場する1250年以前のモンゴル帝国内外で起きた出来事や事件の説明も要領よく文章の間にはさまっていて、会話も心理描写も簡潔で、最後までつまずくことなく読めました。
『中原を翔ける狼・覇王クビライ』では、クビライは「支配に必要なものは、軍事力、知恵と能力を持った人材、金の3つだ。」と妻に語り、大きな犠牲を伴う勝利より小さな犠牲又は調略によって降伏させるのを優先する為政者と表現されてます。
モンゴル帝国と宋の戦い、兄であり4代目皇帝であるモンケとクビライとの葛藤、クビライと弟のアリク・ブケによる5代目皇帝の座をめぐる争い、モンゴル帝国の際限ない攻撃によって滅亡する宋、日本遠征の失敗、クビライの地位を認めず戦いを挑んできたカイドゥ、クビライの死とその後に敗死するカイドゥ、これらの出来事が登場人物達のテンポの良い会話と心理描写によってスムーズに辿れ、モンゴル帝国5代目皇帝となったクビライの壮年からの人生を『中原を翔ける狼・覇王クビライ』によって知ることができます。
一読して良い小説を読んだという満足感はありますが、一方で物足りないこともあります。
本書でクビライは犠牲のより少ない勝利を好み、民族や宗教にこだわらず積極的に優秀な人材を採用する思慮深い為政者と表現されてますが、クビライの人格や思考を形成するにあたって、「東西の書物をひもといて、歴史と思想について学んだ。民族や宗派を問わず、様々な人と会い、話を聞いた。」という記述はありますが、クビライの父母の影響がどれくらいあったのか記述がなく、チンギス・カンについても一緒に狩りをして、親指に脂を塗ってもらい、短い会話をした記述があるだけです。
クビライの祖父のチンギス・カンは様々な氏族集団によて分裂していたモンゴル高原を統一し、強力な軍隊を編成して中国北部から中央アジアに至る広大な地域を征服しました。
クビライの父でありチンギス・カンの第4子であるトゥルイは軍事的能力の評価が高く、モンゴルの末子相続の伝統もあって、チンギス・カンの死後に第2代皇帝にオゴタイが即位するまでモンゴル軍の指揮権を握ってました。
トゥルイはオゴタイ即位後のモンゴル帝国の宿敵である金攻撃にさいし、金に大打撃を与える戦功を立てましたが、40歳で死去し、トゥルイの妻のソルコクタニはトゥルイの子供たちの後見人として家族を守り、クビライの兄のモンケが第4代皇帝に即位するのを後押ししました。
モンゴル帝国建国と発展に大きな役割を果たした、チンギス・カン、トゥルイ、ソルカクタニの3人の言動がクビライの人格や思考にどんな影響を与えたのか、3人から何かを学んだのか、トゥルイ、ソルカクタニとクビライはどんな会話をしたのか、この記述もあればなお良かったです。
この部分を書こうとすれば作者の想像力の果たす役割が大きくなりますが、その想像力を発揮した表現も読んでみたかったですね。