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繊維工業と街
かって日本で繊維工業が盛んだった時代があり、繊維工業が盛んだった地域のうち、愛知県一宮市の繊維工場の様子が、昭和から平成にかけての日本のアパレル産業の移り変わりを描いた黒木亮著「アパレル興亡」に出てきます。
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1956年の一宮市で、繊維工場の特徴的なのこぎり屋根があちらこちらに見られ、ガッシャン、ガッシャンという機械の動く音が市内に響きわたっている様子が描写されています。
当時は繊維工場には、集団就職によって集められた若い女工さんが大勢いて、平日の工場では朝から晩まで織機が作動して生地が織られ、休日には工場の従業員が買い物に出かけて、繁華街は人混みをかきわけて進まなければいけないほどだった、と作中の人物が語っています。
旺盛な需要に応えるために、繊維工場では機械をフル稼働させ、その代金が市内に流れこむことによって経済は活況となり、「アパレル興亡」の1956年の一宮市のページを読んでると、市内に湧き上がってくるエネルギーのようなものが、読んでるこちらに伝わってくるようです。
アパレル会社は日本の人件費の上昇と共に、人件費の安い海外での生産に切り替えてゆき、海外での商品生産拡大によって、日本の繊維工業は縮小していきますが、一宮市の繊維工場も例外ではなく、昭和の後半から平成にかけて、繊維工場がいろんな困難に直面したことは「アパレル興亡」の随所に書かれていて、始めの方で景気の良い話をよんだせいか、日本の繊維工業が衰退していく場面を読むのは、さみしい気がしました。
「アパレル興亡」を読み終えて、しばらくして、小説に登場した一宮市を歩いてみたくなりました。
一宮市については、今まで鉄道や高速道路や一般道路で何百回も通過していましたが、街を散歩したいという気にはなりませんでした。
しかし、「アパレル興亡」を読んで気が変わり、一宮市を検索すると市の中心駅近くの真清田神社が名高い名所であると知り、行ってみようという気になりました。
市内には車で向かって、一宮の駅近くの駐車場に車を停め、暑さは厳しいので、午後3時ころから歩きました。
JRが尾張一宮駅を、名鉄が名鉄一宮駅を平行して駅を設置してますが、なかなか良い外観だと思いました。
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ぎんざ通りを通って真清田神社に向かいました。
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太陽がギラギラする真夏では、アーケードがあるのは助かります。
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真清田神社はグーグル・マップで拝殿、庭園、歴史的に名高い建造物と紹介されていて、実際に見ると、その通りだと感じました。
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織物の神様・縁結びの神様である服織神社、繊維の都市にふさわしいです。
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午後3時を過ぎても、スマホで気温を見ると37度でした。しかし、木陰とか池の近くにいると、31度、2度くらいに感じます。
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アーケードも暑さをしのぐ効果を感じます。
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アーケードのある通りと無い通りの商店街を歩いてみて、シャッターの降りた店が多いですね。今は一宮市でも、郊外の道路沿いの店に買い物客は流れたということでしょう。
昭和の半ばころまでは、日本中で商店街が活況だったと聞きます。
一宮市の商店街も、昭和の半ばは活況があったでしょう。
昭和の半ばまでに大きな商店街ができるには、大きな商店街に見合う購買客が必要で、その購買客を生み出す産業が昭和半ばまでの一宮市には存在していて、その産業の中でも繊維工業の比重は、大きかっただろうと、商店街を歩いてて感じました。
繊維工場の景気が良かったころは、「アパレル興亡」にあるように、休日には工場で働く人々が、商店街に続々とつめかけたと思います。
一宮市に本社をおく会社で、今の日本で最も名高いのは、CoCo壱番屋を運営する壱番屋でしょう。
こちらの業績は順調という感じでしょうか。
一宮市内の店でハヤシライスを食べて、今日は帰りました。
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一宮市には観光案内を見ると、繊維工場の跡地を利用した施設や起宿など、今日行かなかった場所があるので、またいつかそういった所へ行こうと思います。