結節点
ヤフーニュースによると、JR北海道が特急「大雪」の快速化を検討していると北海道新聞が報じてます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f849c982ee43de44d2247de057cc72823af18
北海道へ旅行に行って、何度か移動に石北本線は利用したことがあります。
石北本線では特急にも普通車にも乗りましたが、私の住む地域では見ることができない開拓地のような景色を、連続して楽しめたという印象があります。
石北本線は北海道へ来たという旅行気分を味わえる鉄路だと思いましたが、旭川・紋別自動車道や道東自動車道の整備が進み、航空機の利用者も増えたことから、石北本線の利用者も減ったということでしょうか。
大雪の快速化について、他の記事も読んでみると、石北本線沿線の自治体では遠軽町が反発してるようです。
https://news.mynavi.jp/article/20240623-sekihokuhonsen/
現在の遠軽駅の時刻表を調べると、平日に遠軽駅を出発する鉄道便は上り・下り合わせて17本です。
マイナビニュースによれば、遠軽町はかって存在した名寄本線というオホーツク海沿岸の紋別市をまわって名寄に達する本線と、石北本線との結節点として栄え、杉山氏は「地元でも鉄道に対する誇りと愛着が強いと思われる。」と推測してます。
JR西日本が6社に分割される前の国鉄だったころの、1978年10月号時刻表・復刻版を見ると、遠軽町が石北本線と名寄本線の結節点として栄えてた指標の一つを見ることができます。
1978年復刻版では、遠軽駅を出発する鉄道便は、石北本線だと上り・下りで26便、名寄本線では12便、合わせて38便です。
復刻版の運賃表を見ると、旭川以降の石北本線沿いの最も人口の多い北見市に行く場合、飛行機を使うと、1978年の札幌〜女満別空港の片道航空運賃は7700円、そこから公共交通を利用しても8000円を超えるでしょう。
1978年10月の鉄道運賃だと、札幌〜北見の普通運賃は3100円、特急指定席を使えば1900円の加算、急行自由席を使えば800円の加算、当時は札幌と道東間の高速バスはなく、札幌から北見までの運賃について、特急指定席なら6割ちょっと、急行なら航空運賃の半額程度で済むことから、石北本線の乗客が今よりずっと多かったということでしょか。
遠軽駅を出発する便数は1978年では倍以上となりますが、車両も違います。
マイナビニュースによれば今の石北本線を走る特急の車両数は3両で、乗客も少ないようですが、1978年の特急「おおとり」「オホーツク」は食堂車を1台つけて7両編成、急行「大雪」2.7.9.10号は10両編成です。
他の急行「大雪」の編成は載ってませんが、少なくても7両以上はあったでしょう。
3両編成の特急が8便行き来する今より、7両から10両編成の特急や急行が14便行き来し、名寄本線も合わせると38便の特急、急行、普通車が遠軽駅を出発した1978年10月の方が、駅は二つの本線の結節点として、ずっと賑わっていたと想像します。
長大編成の特急や急行が行き来していた時代と比べると、少なくなった特急がさらに減って快速になるのは、物足りないでしょう。
ですが、快速になっても車両によっては、悲観することはないと思います。
もし特急が快速化されても、長時間座ってられるように工夫された車両が採用されたら、特急券が不要な快速になって良かったという観光客も出てくるでしょう。
石北本線に1978年頃の賑いがもどるのは困難ですが、もし石北本線の特急が快速化されて、その快速に採用された車両が観光客から好意的に迎えられたなら、鉄道を使って遠軽から網走に訪れる観光客数は、減ることはないと思います。