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美濃駅跡とうだつ

1999年に廃駅となった旧名鉄美濃駅は観光スポットとなっていて、行ってみました。
https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_3210.html


美濃駅跡は昭和か大正の時代を感じさせてくれる造りになっていて、他の観光客も熱心にスマホを駅跡に向けていて、記念に残した価値はあると思います。

美濃駅が廃駅となった6年後に関市と岐阜市の間の鉄道路線も廃線となり、名鉄美濃町線は消滅しました。

美濃町線の途中にある関市は小さな町というわけでなく、始発駅がある岐阜市は県庁所在地なのに、どうして美濃町線は廃線になったのでしょう。


岐阜市、関市、美濃市へと車で走ると、地域経済が衰退しているような感じはしません。

3つの市の人口をググってみると、岐阜市の人口は約40万人、関市の人口は8.9万人、美濃市の人口は約1.9万人、3市合わせて51万人くらいです。

都市圏で51万人の人口がありながら、鉄道を維持する方向にいかなかったのは何故か、検索してみると、2005年3月の国土交通省中部運輸局と岐阜市の調査報告書が見つかり、なんとなくわかりました。

この報告書には美濃町線の他に揖斐線、市内線のことも述べていますが、美濃町線のことを抜き出すと、以下となります。

美濃町線沿線では高密度な市街地が形成されるまでは至っていない。

岐阜市の郊外部や周辺市の人口は、昭和40年代より急速に増加したが、市街地化の方向と美濃町線沿線の方向が一致しなくなっていた。

沿線地域の高齢化がいち早く進行した。

1990年から2000年までの間に、公共交通のメインターゲットである高校生や就業者の人口が減少した。

1991年から2001年の間に、美濃町線沿線の事業所数が13%減少した。
同じ10年間に小売商店数は19%減少した。

1988年から2002年の間に美濃町線沿線地域の小売販売学は約2割減少、一方で鉄道から離れた郊外では大規模小売店が進出して2倍に増加した。

岐阜都市圏は、全国平均を上回るスピーで自動車利用が進展した。

若者や家族連れが楽しめるような商業施設やエンタメ施設が美濃町線沿線には進出せず、働く場所や商店が沿線では減少し、通学に鉄道を利用する高校生も減り、マンションや住宅団地が沿線に立ち並んで市街地を形成することもなく、モータリゼーションの進展も重なって、名鉄美濃町線を維持する意義は失われたということでしょう。

高密度な市街地が形成されなかったのは、観光地としては良い面があります。

美濃市の観光案内で、旧市街地を「うだつの上がる町並み」と紹介しています。

美濃駅から歩くと、一昔前の雰囲気が色濃く残っている街路が続き、一昔前の屋根瓦と木造の家屋が続く観光地を歩くのは好きなので、観光マップを持って、マップにあった建物はここか、とワクワクしながら歩けます。



市街地から少し足を延ばすと、吊り橋があります。


長良川は清流のように見えるので、暑い日にドボンと入って危険な目に遭った人が、過去にいたということでしょうか。




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