Have a good die
生きていることについて、或いは死んでいるということについて考えている。
わたしが7歳から23歳になるまで飼っていた愛すべき家族であり友達だった愛犬パグ(犬種ではない。名前がパグ。犬種はビーグルと何かのミックスだった)のことを思い出しながら。
〈以下は2018年2月27日にnoteで書いたエッセイです。後々また2024年のわたしが登場します〉
僕の生きる道
わたしの一番好きなドラマである『僕の生きる道』(2003年放送)に出演されていた大杉漣さんがお亡くなりになりました。
有名人が亡くなってショックを受けるという感覚は久しぶりでした。
「僕の生きる道」あらすじ
ここ数日ドラマの様々なシーンが脳内で再生されます。
例えば、主人公である草彅剛さん(中村秀雄)と結婚することを父親である大杉漣さんに告げる矢田亜希子さん(秋本みどり)に対して大杉漣さんは
「ちょっと待ってよ。何も結婚することはないんじゃないのか?」と結婚に反対します。
この時点で秀雄はスキルス胃癌により余命はすでに10カ月を切っていました。父親としては、結婚する娘がすぐに未亡人となってしまうことがしのびないのです。
「どうして病気だとダメなの?」みどりは食い下がります。
普段はとても仲のいい親子なので、口論するこのシーンは観ていて胸が痛くなります。大杉漣さんは最終的につい出てしまった言葉という感じで
「死んでしまうからだよ!どうして、死ぬとわかってる男と、結婚するんだ」と言います。
みどりは「死ぬと分かっている男は彼だけじゃない。世の中の男、全員よ」と目を真っ赤にして言い残しその場から出ていきます。
結局、大杉漣さんは2人の結婚を認めないまま日々を過ごすのですが、秀雄とみどりの2人きりで行う結婚式の最中に大杉漣さんが教会を訪れ、2人を祝福するという素晴らしいシーンに繋がります。
このドラマは"have a good die"(直訳:良き死を)がテーマになっているのですが、わたしは「生きる」ことをこのドラマに教わったような気がしています。
DVDボックスもノベライズ本も持っています。今でも何年かに一度見返す唯一のドラマです。大杉漣さん、あまりにも早いよなぁと思ってみたり、みどりの秀雄に対する想いやセリフを大杉漣さんに置き換えてみたりとか、なんとか気持ちを整理しようとしていますがまだ難しいです。
とにかく、世界の隅っこからだけど、ご冥福をお祈りします。
〈ここから2024年現在のわたしです〉
Have a good die
「僕の生きる道」は本当にいいドラマだった。秀雄は余命10ヶ月より長く生きた。最期はコンクール会場の客席で生徒達の合唱を聴きながらみどりの肩にもたれて迎えた。
秀雄が息を引き取ったことに気付き、寄り添い静かに涙を流すみどり。
「人と犬を並べて考えるのはどうなんだ」とか色んな問題はあると思うのですが、まあ誰かに迷惑をかけるわけでもないし、声高に「動物と人の命の重さは等しい!」とか宣言したいわけでもありません。
これはごく個人的な話です。
散歩に連れていく時、パグはリードをぐいぐい引っ張りながら思うがままに走っていた。
普通は人と同じペースで歩くようにしつけをするのだろうが、わたしも子供で元気だったし走ったほうが早く散歩が終わるので、パグが引っ張ってくれる限りはずっと走っていた。
リードを引っ張ってくれるのが楽しくて、どちらかというとパグに遊びに連れて行ってもらっている感覚だった。
両親も散歩に連れていくことがあるので散歩コースは決まっていたのだが、ある日わたしはパグが行きたいところへとことん行ってみようと思い立ち、母親にいつも通り何食わぬ顔で「パグの散歩行ってくるわ」と言って長い長い散歩をしたことがある。
最初は知らない道に興奮してフンフンと鼻を鳴らすパグだったが、最後のほうは2人ともバテて、何もない道の真ん中で一緒に休憩した。
道路に大の字のなって寝転ぶと、パグはわたしの身体に乗って顔をぺろぺろと舐めてくる。
わたしはパグをぎゅっと抱きしめて、頭を撫でた。
くたくたになりながらようやく家に着き、また何食わぬ顔で「ただいま〜」と言うと母親は「どこまで行ってたの?」と怒っていた。2時間ほど経っていたらしい(普段の散歩は20分)。
わたしは「ちょっとね」とだけ言い残し自分の部屋に入る。今日のことはパグとわたしだけの秘密の冒険だったのだ。
ずっと一緒に歩こう
パグは16歳まで生きた。当時わたしは東京にいたので、亡くなったのは母親からの連絡で知った。
晩年はおむつをして、散歩も家の前を少し歩けるかどうかで、リードを付けても動かなかった日もあったらしい。
わたしはパグの死に立ち会えなかったし、実家を離れたのが18歳の時だったので、一緒に過ごしたのは11年間だ。パグの11歳から16歳はほとんど知らない。11年がパグにとって長かったのか短かったのかは分からない。たまに実家に帰ると喜んでくれた。確かに動きは緩慢になっていたが、顔はずっと童顔でかわいかった。
母親から電話で穏やかな死に際であったことを聞き、わたしは「ありがとう」と言って電話を切った。
その後、わたしは泣きながら散歩をした。ここは群馬の田舎ではなく東京の笹塚だ。パグはこんなにたくさん人がいるところに来たことがないので怖がるかもしれないが、わたしは右手を差し出した。
おいで、と心の中で言った。
風が吹いて、かすかに右手が引っ張られる感覚がした。いや、実際にはしていなかったかもしれない。今となってはどちらでもいい。
わたしは子供の頃みたいに、走った。とにかく知らない道へ行こうと思った。
パグ、一緒に行こう。ずっと一緒に歩こう。
それ以来、散歩をする時は、右手の感触を探している。
今も、きっとこれからも。