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真冬の夜のスガシカオ

またスガシカオさんの話です。
そろそろしつこいかもしれませんが「被せるのは15回までOK」とオードリーの若林さんが言っていた気がするのでどんどん被せていこうと思います。
とりあえずスガシカオさんにツイッターでフォロバしてもらうのが目標です。

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@ゆるフォロバの枠に入りたい。ハハ。

本格的にスガシカオを聴きはじめたのは20歳のころでした。当時のわたしは音楽の専門学校で歌を学びはじめたばかりで、先生から「歌うだけではなく作詞作曲もできるようになりましょう」と言われて色々な音楽を聴き漁っているところでした。

当時同棲していた彼女からの『大学やめてまで専門学校行くとか意味ワカンナインデスケド』という熱い視線をなんとかやり過ごしながら参考になりそうなシンガーソングライターを探している中でスガシカオの音楽に出会いました。 

最初に衝撃を受けたのは「真夏の夜のユメ」でした。なんとなく歌詞というものは収まりがよくて綺麗事っぽいことを書くのが暗黙のルールだと思っていたのですが

ぼくは孤独で嘘つき
いつもユメばかり見てる

というAメロの歌い出しを聴いたとき「こんな風に(ネガティブな)本音を書いてもいいんだ」と驚いたし安心もしました。歌詞で表現できる世界は想像していたよりもずっと広くて、J-popの歌詞がいつも「夢が必ず叶ったり」「永遠の愛を誓ったり」してばかりだと思っていたのは単なるわたしの知識不足だと知りました。

まるで吸血鬼みたいに
君のやさしさを
吸い尽くしてしまう
気がするんだ

このBメロも共感できて救われました。
あの頃は、やさしさを吸い尽くしたら人の心はドライフラワーみたいにパリパリに渇いて砕けてしまうんじゃないかとそんな心配ばかりしていた気がします。だから自分がもっとやさしくならきゃと頑張って、でも結局うまくやれなくて・・・。
負の連鎖。


ところで、わたしが最初に書いた歌詞のサビは「ずっとずっと愛してる」でした。スガシカオから何を学んだんだ!!!ずいぶん時間をかけて四苦八苦して書きましたがどう見ても低レベルな(恋愛ソングあるあるを並べたような)歌詞が出来上がってしまいました。 

学校の先生は「まぁ最初は誰でもこんなもんだよ」と言ってくれたのですが(苦笑いだったけど)、同じ学科のとある女の子は最初から既に素晴らしい歌詞を書いていました。Aメロを聴いただけで心情と風景とが鮮やかにまぶたに浮かんできて、10年以上経った今でも時々口ずさんでしまいます。わたしの書いた歌詞にはあれやこれやと問題点や課題を指摘していた先生もその子の書いた歌詞には「いいねぇ」と言うだけでした。顔もあからさまにニッコニコでした。

才能って、ある人にはあるんですよね。
当たり前だけど。 



今でも変わらないけれど歌詞や詩を書くのは楽しいです。専門学校に在籍していた2年間はほとんど毎日歌詞を考えて過ごしていました。

でも、彼女と住んでいたアパートでは歌詞のことはなるべく考えないようにしていました。集中していると彼女の話が全く頭に入ってこなくなってしまうからです。あと、歌詞を考えていると感傷的になることが多かったのも理由のひとつでした。何気ない会話で笑っているのを見ていたら段々と悲しくなってきて「アイス食べたくない?ちょっとコンビニ行ってくる」とか適当な嘘を言ってスマホと財布だけ持って外に出て、夜風に揺れながら小さく「真夏の夜のユメ」を歌いました。
これが最後の歌詞です。

君がやさしく笑った
遠い世界の出来事みたいに
ぼくは孤独でウソつき
いつもユメばかり見てる

この曲はアウトロがなくて最後はAメロで終わります。"ぼくは孤独でウソつき" までで楽器が消えて "いつもユメばかり見てる" はスガシカオの歌声だけになります。わたしはスガシカオとユニゾンで最後まで歌い、曲が終わってしまうと夜の街で独りになってしまいます。


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#真夏の夜のユメ
#音楽

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