2月21日 タモリさん

ゆっくりと春が近づいてきた。
"今年は花粉の飛散量が例年の10倍らしい"という話題になるたびに「それ毎年言ってない?」と思う。ラジオでも誰かが同じことを言っていた。
例年というのは、いつのことなのだろうか。
(真偽の程は知らないが)過去10年の平均を"例年"としていると聞いたことがあるが、10年だけを抽出するのはデータとしてなんだか心許ない感じがする。
だいたいどうやって花粉の飛散量を予想するのだろうか。過去の予想は当たっていたのだろうか。

わたしは春が苦手で、息をしているだけでクラクラしてしまう。
春には桜が咲いて、散る。
堂本剛さんの歌う「ソメイヨシノ」が脳内で再生されて、視界のコントラストが上がったりモノクロになったりする。

『叫ぶ声がまた 墜落した』

桜は毎年、必ず散る。木の寿命は人間より長いかもしれないが、花びら一枚一枚は毎年きちんと死んでいく。
それでも綺麗に咲く。
植物というのは、潔い生き物だと思う。


先週仕事を何日か休んでしまって、復帰した日の朝に69歳のベテラン社員さんに「すいませんでした」と謝ったら、ちょっとニコッとして「大丈夫かい?」と言ってくれた。
わたしはできる限り"大丈夫そうな"顔を作って「はい、大丈夫です」と答えた。
ベテラン社員さんは自分のお腹を押さえながら「内臓が悪いの?」と続けてわたしに質問した。
わたしは少し迷ったが「うつ病なんです」と答えた。

ベテラン社員さんは「そっかぁ、うんうん」と言って何度か頷いてから仕事に戻った。

それ以降も、ベテラン社員さんは以前と変わらない態度で接してくれている。
今日も、15時の休憩の時に缶コーヒーを飲んでいたら「ブラックが好きなの?俺もコーヒーはブラック」と話しかけてくれて、「ブラック好きです」と答えたらニカッと笑って「うまいよな、ブラック」と言い、何処かに消えていった。

腫れ物扱いされても文句の言えない立場なのに、ベテラン社員さんは普通に接してくれる。これが何よりも嬉しいし、助かる。
できる限りしっかり働いて恩返ししたい。


出勤できている日は普通の人と同じように働けていると思う。網膜剥離で右目が使えなくなったことで以前よりポンコツさは増したが
(自分がポンコツだということを感じるのは嫌だ。辛いとか悲しいとかではなく、シンプルに嫌!数年前まで当たり前に出来ていたことが出来なくなるなんて嫌。とても悔しい。悔しくて、油断するとすぐ自分を恨んでしまう。)
わたしはどちらかと言えば献身的に働くタイプだ。

だが、仕事を休んでしまった日は手錠でもかけられているかのようにベッドから一歩も動けなくなってしまう。昔からなのだけど、わたしが仕事を休んだ日にベッドからようやく出れるのは仕事の定時を過ぎてからだ。
本来仕事をしているはずの時間にはどうしても活動できない。そんないつまでも寝れるわけもないのに、目を閉じて、仕事が終わる時間をただ待つ。

これが精神衛生上良くないようで、休んだ日は割り切って外に遊びに行くくらいの気持ちでいたほうがいいらしい。
せめてYouTubeで楽しい動画を観るとか、Netflixで映画を観るとか、そういうことができたら心がリフレッシュされて翌日の仕事に臨めそうなのに、わたしは石みたいにベッドで固まって、"生きることはどうしてこんなに難しいのだろう"みたいなことを延々と考えてしまう。


ほっておいても勝手に春は来るし、桜は咲く。

ANN55週年の"タモリのオールナイトニッポン"を聴いていたら「生きることに意味なんかないんだよ」とタモリさんが言ってくれているような気がした。

タモリさんの声が元気そうで嬉しかった。
ゲストの星野源さんとジャズの話をしたり、『"こちらカツ丼になります"の「なります」っていう言葉はおかしいよなぁ。もうなってますよって。「なります」って言うならば、豚肉と卵とパン粉を持ってきて、目の前で料理してくれたら「わーカツ丼になった!」って喜べるのにね。』
と言っていて爆笑した。

昨今の言葉の使い方に苦言を呈す人はたくさんいるが、こんなに面白く話してくれる人はタモリさんだけだと思う。学校にこういう先生がいたら、みんな勉強が楽しくなるんだろうなぁ。

わたしも楽しいことをしたい。
うつ病でも、目が見えなくても、やれることはたくさんあるし、何もする必要なんてない。
ぶつぶつ文句を言っていても時間は決まったスピードで流れるし、物事の意味ばかり考えていたらそのまま死んでしまうのだ。

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