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No one compares

わたしは歌手として東京ドームに立つのが夢でした。

先月のいつくらいだっただろう。母親に「今日カラオケに行ったのよ」と報告された。
「お父さんと?」とわたしが聞くと少しだけ照れくさそうに「そう」と言った。

「何か歌えた?」と聞くと、ポケットから小さいメモ用紙を取り出してわたしに渡した。
そこには10曲ほどの曲名が書いてあった。母と父がそれぞれ歌った曲と一緒に歌った曲だ。(何の曲が書いてあったかはすっかり忘れた。スマホのメモ機能ではなく手書きというのがいいよね)

「最初は声がなかなか出なかったけど少しずつ喉が開いて歌えるようになってきたね、でも若いときみたいには歌えないね、コロナになった後はずっと喉がイガイガする感じが残ってるし、なかなかね、でもたまにはリフレッシュしないと…
お父さんはね、大瀧詠一の歌が良かったな、タイトル、どれだっけな、声と合ってる感じがしたな」

わたしはうんうんと相槌を打ち「大瀧詠一は声高くない人だから合うのかもね」と言った。

「そうね、もう高い声なんて出ないわよ」

わたしは母親の話を聞きながら、最初の

『何か歌えた?』
という質問の仕方は変だったな、と考えていた。カラオケに行ったんだから何かしらは歌うに決まってる。

「今度一緒に行く?」母親は言った。
わたしは少し迷ってから「もう俺は歌えないのよ」と言った。


◻︎


わたしは2016年に「頸部リンパ管腫(リンパ奇形とも言うらしい)」という病気になり2018年?に手術をした。リンパの近くに瘤(こぶ)ができてしまう病気で腫瘍とは違うのだが、顎よりも首の方が前に出てしまっていて手術するしかなかった。
イメージが湧かないと思うので例を出すと、バナナマン日村さんは顎と首の境目がないが、わたしもリンパ管腫の時は同じくらい顎周りが膨らんでいた。ただわたしは枝のように痩せているので、それはそれは異常な見た目だった。首だけが太っている状態だ。

手術で何をしたかと言うと、その瘤を小さく固める薬を内視鏡を使って注入したのだ。切除するには声帯と瘤の距離が近すぎて声が出せなくなってしまう可能性があったため小さく固めるという方針になった。
手術は成功して、わたしの首は元通り枝のように痩せた。
でも、切除したわけではないので首を触ると板が入っているみたいに硬い箇所があった。

声帯と近い場所にあるので、歌を歌うなどの大きな声を出すと声帯と板が接触した感触がして、すぐに首が痛み、血の味がした。


それから5年ほど小さな声だけで過ごした。(元々声は小さいのでそれ自体は苦ではなかった)そして首の違和感も幾分減った去年、わたしは誰にも言わずにひとりでカラオケに行った。

しっかりとストレッチなどの準備運動をしてからマイクを使わずになるべく自然な発声になるように、鼻歌の延長みたいな感じで歌を歌った。
一曲目の途中で首がピキンとなった。わたしは歌うのを一旦止めて、深呼吸した。

歌うのは数年ぶりだから首に負担のかかる歌い方になっているのかもしれない。わたしはとにかく上半身をリラックスさせて歌うことに集中した。でも、専門学校時代に学んだどの発声の仕方を試しても首は痛んだ。

それから一週間後、またひとりでカラオケに行った。
結果は同じだった。

その時、どうやら本当に歌えないらしいな、と悟った。鼻歌以上の声量を出そうとすると神様が「あかんで〜」と言って喉に蓋をする。幾分柔らかくなっていた首は、大きな声を出すとまた硬くなった。
それでも諦めがつかずに1時間くらい歌ったが、血の味で気持ち悪くなってやめた。

「トランセルじゃあるまいしそんなに硬くなるなよ」
わたしはつまらない独り言を言った。
やめやめ!とわたしはカラオケでジンジャーハイボールを頼んで飲みながら寝転んでKinKi KidsのMVを観た。
堂本剛さんは耳の病気を抱えながら歌を歌っている。

わたしは趣味程度に歌えればそれでいいのに、それも難しいらしい。
もっと徳を積んどくべきだったなぁ、と思った。ドラマ『ブラッシュアップライフ』を観ていた時期だったのだ。
わたしが歌えなくなっても悲しむ人はいない。またしばらく大人しく過ごしていたら、歌える良い方法が見つかるかもしれない。少なくとも声帯がなくなったわけではない。近くに硬い板があるだけだ。

母親に「今度一緒に行く?」と言われた時、わたしは悩んだが、かいつまんで経緯を説明した。

「何回か試してみたんだけど今は歌えないらしい」

母親は「あなた普段全然口を開かないからどんどん衰えていっちゃうんじゃないの?」と言っていた。そんなわけはないと思うので「そうかなぁ」とわたしは言った。
全然同意していないときの「そうかなぁ」だ。話を切り上げるための「そうかなぁ」。

わたしは気まずくなって少し声を張って「まぁ!元がうまかったからね!ちゃんと歌えないのが嫌なんだろうね!元々下手だったら気にならないんだろうね!」と言った。話を切り上げるための声の張り方だ。
母親はそれを察して同じく声を張って「うん、そうだね!」と言った。

なんだこの会話は?と思いながらわたしは自分の部屋に引き上げた。


◻︎


生田絵梨花さんがSSWとしての活動を本格化させている。才能も努力もわたしみたいな半端者とは比べ物にならない凄い人だけれど、わたしの夢まで叶えてくれる気がして頼もしい気持ちになっている。

「No one compares 」

「何もあなたと比べられるものはない」

わたしはどれだけ人に助けられて生きているのか。母親にも感謝しないとだ。
カラオケ誘ってくれてありがとうねえ。(面と向かって言え)


#エッセイ
#頸部リンパ管腫
#東京ドーム
#生田絵梨花

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