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詩と写真と 2

昨日上のように書いたのだけど、やっぱり写真は好きです。「一瞬を切り取る」という意味で、写真と詩は性質がよく似ています。だから私は写真詩に魅力を感じるのだと思う。 

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写真詩には難しいところもあります。donorをやってみて気づいたことは「写真は写真だけで世界が完結している」という当たり前のことでした。完結しているということは、そこに詩を加えることが「蛇足」になってしまう可能性があるわけです。 

歌詞を書くときと感覚がすこし似ていて、歌詞には楽譜の音符の数と文字数を合わせるという制限がありますが、写真詩も、写真という楽譜(情報)に合わせて詩を書くという制限があります。 

特に、情報量の多い写真(人の顔や、多く人が認知している"東京タワー"や"新宿の駅前"のような景色など、色々)の場合は、詩の中で描ける世界がそうとう制限されます。 

例えばこの写真だと、これよりも

こんな感じの写真のほうが表情が隠れている分、自由に想像して書けるので詩の世界観を作りやすいわけです。伝わるかしら。(あくまで「制限の大小」についての例です。せっかくの写真を勝手にトリミングするのは最悪)

・・

ただ、私はその制限も好きです。
だって、歌詞と似てるんだもの。詩を書くきっかけになった歌詞作りと同じような行程で詩を書ける。donorをやるまで歌詞と写真詩が似ているなんて知らなかった。もちろん、自分の技術というか、抽斗がたくさんあればいくらでもクリアできるんですけどね。1枚目の写真にしても、彼女の表情を読み取って自分の世界を構築できれば、どんな制限があっても詩は写真を邪魔しないはず。
たぶんだけど。

がんばります。


#エッセイ  #donor #写真詩について

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