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ぱお

鬱病の障害者手帳の申請をしたのが5月なので、そろそろ手元に届くはずだ。20代で鬱病に罹ってから、健常者として生きることにかなり強いこだわりを持って生きてきたが、36歳にしてまた大きな挫折をして申請をすることになった。
元気なときもあるが、動けないときは文鎮のように固まって動けない。

人の為に何かをやれたとき、わたしは生きる喜びを感じる。
嬉々として人の世話を買って出る人がいるが、わたしにもそういう素質がある。何かをしてあげることはわたしの精神の健康にも良い。そして、そこに自我がなければないほどいい。「わたくし!スナノラジオが!やりましたヨ!!」と言いふらしてまわるのは好きではなくて、相手は“妖精か何かが面倒な仕事をいつの間にか片付けてくれた、ラッキー”くらいに軽く思ってくれるのが一番いい。自他共に認める個人主義のわたしだが、人の役に立つことをするのが好きなのだ。
人の役に立つのが好き、というとイイ奴みたいに思えるが、そんなことはなくて、ただそうしたほうが自分自身気持ちいい、というだけの話だ。
横断歩道を渡れないおばあちゃんがいたらおぶってあげたいし、自分が死んだあとの臓器で使えるものがあったら全て提供したい。

しかし、人のために何かをすることが上手というわけでは決してない。うまくやれて相手に感謝された経験もあるが、どこかでボタンを掛け違えて逆に相手に迷惑をかけてしまったこともある。たくさん、ある。
昔の恋人に貢ぎ過ぎたのも、会社の同期にお手製のマニュアルを作った結果パワハラで訴えかけられたのも、相手が100%悪いということはない。わたしにも非はあると思っている。人付き合いに苦手意識があるし、現実とても下手だ。どうでもいい相手ならいいが、リスペクトをしている相手との人付き合いで失敗すると精神に深いダメージを負う。


自分の性格はあまり良くない。この年齢になり悪口を実際に口に出すことはあまりなくなったが、Twitterを見ている時など心の中で「いつまで言ってんだよ」とか「文章だけなのにうるせえな」とか散々悪態をついている。これらを全て言葉に出す、あるいはリプライなどで相手に伝えていたら、わたしはとんでもない暴言モンスターとして色んな人からブロックされて、そのうち数少ない友達もいなくなるだろう。

フワちゃんはラジオで自分の性格を“終わっている”とよく評していた。
今回の一件はフワちゃんの性格が終わっていることが全ての原因だと思う。あんな投稿をするなんて、とんでもないバカだ。それも、Twitterという地獄みたいな空間でほのぼのとした投稿だけを信念として行っていたやす子に対してするなんて、愚かすぎる。インターネットすぎる。

でも、オードリーのオールナイトニッポン㏌東京ドームで春日さんとプロレスしていたフワちゃんは本当にかっこよくて、かっこよくて、かっこよかったのだ。
性格が終わっていても他人を元気にできるとフワちゃんを見ていると思えた。春日家と花見に行って、ディズニーシーに行って、エアロビ頑張って、無口な春日さんの心を見事に開けて、無邪気に笑いあったり、ぱおしたりしていたのに。

フワちゃんのオールナイトニッポン0が終わったのが悲しい。

ALWAYS MIDNIGHT. WW47

#エッセイ

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