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天国旅行

父親入院10日目。

身体はあちこち痛いだろうがそろそろ「酒飲みたい、煙草吸いたい」と思っている頃だろう。何を隠そうわたしも昨日から酒が飲みたくて堪らない。
父親が救急車で運ばれたあの日、自分への戒めと父親への勇気づけのために言った「俺も付き合ってお父さんが退院するまで禁酒するよ」というセリフ。つまり今日で禁酒10日目だ。苦しくて仕方ない。TVerやYouTubeのCMは酒ばかり。コンビニに行けば真っ先に酒のコーナーに向かう癖がついている。「ちがうちがう」と言い水を買う。
ノンアルは買いたくない。ノンアル、意味が分からない。ノンアルのために酒と同じくらいのお金を払うのまじで意味が分からない。それなら珈琲を飲んだほうがいい。

退院の目処はまだ立たない。仮に入院期間が一カ月だとして、あと20日。20日後に自分が「あれ?酒飲まなくて大丈夫かも」という境地に至っているとは到底思えない。
先月東京に行ったときのわたしの1日での酒量がメモしてあった。

抹茶ビール×1
グラスビール×1
ハイボール×3
芋焼酎×1
缶ビール×1
レモンサワー×2

ご、豪遊!
酒が強いのは父親譲りだ。やれやれ。

仕事探しは難航している。一社落ちて、新たに一社応募した。続けていればいずれどこかに引っかかるだろう。

あれは4月頃だっただろうか。父親が三浦しをんさん原作の映画を見て、わたしに「三浦しをんの本持ってない?」と聞いてきた。わたしは「探してみるよ」と言ったが3日くらいそのことを忘れていた。本棚をぼんやり眺めたときに父親のことを思い出して探してみると「天国旅行」という本が一冊だけあった。読んだのはもう随分前なので内容は覚えていなかった。わたしは父親の部屋の机に「天国旅行」を置いた。

網膜剥離になり右目がほぼ見えなくなってから、わたしは読書をしなくなった。あんなに好きだった読書という行為が途方もなく疲れるものになってしまった。
どういうわけか、眼球を上下に動かすとすぐに酔ってしまう。わたしの部屋には大きな本棚があり、20代のころに集めた大好きな本たち(江國香織、カズオイシグロ、小川洋子、村上春樹、ポール・オースターの小説、あと若林さんや源さんのエッセイなど)が並んでいるのだが、今では全てがオブジェと化している。
わたしは目の病気で読書の楽しみを奪われ、首の病気で歌う楽しみを奪われた。どちらも子供のころからわたしをずっと救ってくれたものだ。さよならを言う暇もなかった。わたしが鬱病と戦えなくなったのは、これらの身体の病気の影響も大きい。

先月わたしの机に「天国旅行」があり、本の上に父親の字で『読了』と書かれたメモ用紙が置いてあった。感想を聞こうかと思ったが、内容を覚えていないのに聞いてもしょうがないか、と聞かずじまいだった。
父親が入院してから何となく「天国旅行」の頁をめくってみると、いきなり主人公が首つり自殺を失敗するという描写から物語がはじまった。脚立から落ちて大怪我をした父親とどうしても状況を重ねてしまい、すぐに本を閉じた。

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