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笑えない夜を、笑う

父親入院20日目。

今さっき眠剤を飲んでしまったのでもしかしたらこのエッセイはおかしな文章になるかもしれない。ご容赦ください。
一昨日父親のお見舞いに行った際、リハビリ担当の先生と話ができた。母親とわたしは並んでソファに座り、先生はひざまずいてリハビリをどんな風に進めているのかをわたしたちに説明してくれた。今までここで細かい病状は明記していないし、今後もしない予定だけど、今回は家族にとって少しショッキングな説明だった。
事故後、父親と話すときに感じていた違和感は一過性のものではないらしかった。本人含め家族も一生付き合っていくものになるようだ。
たとえば、網膜剥離で失ったわたしの右目の視力がもう戻らないのと同じように、父親は事故によってとある部位と損傷した、と言って差し支えないだろう。

リハビリによってどれくらい回復するかは人によるらしい。母親がどんな風に思っているかは分からないが、わたしはそこまで悲観的に捉えていない。今後の出来事によって感想は変わってくるだろうが、今のところこう考えている。

父親が2人になるわけではない

事故前とまったく同じ父親に会うことはもうないのかもしれない。でも、それは事故に遭っていなくても同じことだ。父親は今入院していてリハビリを毎日頑張っているあの人たった一人だ。“もしあの日事故に遭っていなければ”と考えることはあまり意味のないことだ。今生きている父親が唯一の父親で、それ以外にあの人は存在しない。

何も心配することはない、と言うのは強がりかもしれない。リハビリを一生懸命やってみて、わたしの父親がどんな人になるのか愛情深く観察することだ。
人は世界にたった一人。わたしも世界にたった一人。あなたも世界にたった一人。

たとえば心身ともに健康で右目の視えているわたしはこの世界に存在しない。本を読むのが遅くて、動体視力が遅く対人ゲームで底辺のスコアしか出せず、字幕で映画を観るとすぐに疲れてしまい、鬱病で障害者手帳を取得してゆるやかに死に向かっているわたしのみが世界に存在している。

人の運の総量は平等じゃない。若林さんもかつてラジオで吠えていた。
運の総量の話をラジオで初めて聞いた時、わたしは笑いながら大声で泣いた。決して自分の情けない部分を全部運のせいにしたいわけじゃない。
でも、運というものが世の中に存在すると若林さんが言ってくれたことで心が救われたのだ。
運ってあるよな。運の良い奴っているよな。「あいつは運が良いな」と思うことは悪じゃないよな、罪じゃないよな、と。

『春日はスターなんだよ。春日には6回サイコロが周ってくるんですよ。俺2回なんですよ。俺、春日が4回目くらいサイコロ出た時、(自分の)サイコロ出ろォ!!!って思ってたんだから。
バカはね、人間の運の総量は一緒。それがいつ来るか。みたいなことを言うんですよ。
総量なんて違う違ぁう!!!差があるあるぅ!!!
全然あんの。運の総量なんて違うの。
今ない人にも運がある時がくるとかね、勝負を知らない奴は言うんだよ。運良い奴はずーっと良い!運悪い奴はずーっと悪い!でも生きていかなきゃいけない!!!』

わたしにとってラジオ史に残る最高のスピーチです。ありがとう若林さん。

あと、今書いていて思い出した運の話で哀しみを覚えたのが、日向坂46のYouTubeで佐々木美玲さん・高本彩花さん・平岡海月さんの3人でヒラメ釣りに行った回だ。

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