水を飲んでおいしいと思えたらそれで今日はいいや
サカナクションの山口一郎さんが鬱病の闘病をしていることを知ったのは昨日だった。突発性難聴を患っていたことは知っていた。ヘルニアもかな。あと、何かの病気でサカナクションの活動が止まっていることも知っていた。
(NF OFFLINEで歌った「忘れられないの」が好きで“文章を書きながら聴く音楽リスト”に入れてある。)
確か先月くらいだったと思うのだけど「あれ?山口さんって何の病気で休んでたんだっけ?」と思い「山口一郎 休業 病気」という気持ち悪い一般市民の野次馬根性丸出しワードで検索してみたらその時は帯状疱疹という結果が何件も出てきた。
わたしも帯状疱疹は罹ったことがあるが、そんなに長く休む必要のある病気ではないし、仮に休業の理由が帯状疱疹であるならばそれは命に関わる重度の症状だったということになる。
わたしは皮膚科の医師でもなんでもないので適当なことを言うが、帯状疱疹の神経痛は気絶しそうなほど痛いが、帯状疱疹用のバカでかい錠剤を飲んでいれば1~2週間で症状は緩和されるはずだ。わたしは我慢しすぎて病院に行くのが遅れたため、帯状疱疹に罹ってから10年近く経った今も時々脇腹がしくしくと痛む。
とは言え、山口さんの休業の理由が帯状疱疹であるとはちょっと考えにくかったのでその時は調べるのを諦めてしまった。
昨日、起きてXを見ていたら『「病気を公開しながら、音楽を作っていく」――サカナクション・山口一郎、うつ病との闘い #病とともに』というインタビュー記事をご本人がポストされていた。
「あぁ、鬱だったのか、一緒だ」と記事を読んでみたら症状の出方がとても近いと感じた。今まで読んだり聞いたりした症例でも一番と言っていいくらい。
これがほとんど全てを説明してくれていて、わたしもとにかく“元に戻れるかどうか”を考え続けていた。
わたしは鬱病以外にも精神的な疾患がいくつかあるので(社会性不安障害、パニック障害etc)それらを鬱と切り離して、とりあえず鬱の状態さえ改善できれば他のことも連動して改善されていくはず、と考えるやり方と、スナノラジオという一人の人間、一つの魂として全ての問題と対峙するやり方があると思う。
わたしは前者の鬱とそれ以外を切り離して考えるやり方で昨日まで過ごしてきた。
なぜなら、一人の人間、一つの魂として自分を俯瞰で見てみると、精神疾患のほかにも網膜剥離によって失われた右目の視力や、警部リンパ肝腫と警部膿瘍によって失われた歌唱のことまで全て一緒くたに考える必要があり、その現実はわたしにとってかなりきついものだったからだ。子供の頃から好きだった歌がもう歌えないというのは、右目の視力を失ったことと同じくらい正直辛かった。
山口さんのインタビュー記事に
という言葉が紹介されていた。わたしはとても傷んだリンゴだ。わたしはそのことを情けなく思って生きていた。
「視力も歌も手放して、あとは死を待つのみですね」と脳内でほくそ笑んでいる自分がどこかにいる。確かにいる。くくくと口を斜めにして笑っている。
こいつはわたしの性格の悪い部分だけで構成された悪魔のような集合体だ。
この悪魔がいるおかげでわたしは自分が傷んだリンゴであることを自覚しすぎていて、“前向きの前ってどこですか?”という状態でずっと生きてきた。
わたしも新しい自分を受け入れなければならない。手放したものはもう戻ってこない。自分が今持っているものを改めて認識することからはじめてみよう。
水を飲んだらおいしいと思う。窓を開けたら風を頬で感じられる。空を見たら星が見える。両手両足がある。ラジオを聴いたら面白いと思える心がある。目を閉じてじっくり考えたら文章が浮かんでくる。
わたしはたくさんのものを持っている。