見出し画像

水を飲んでおいしいと思えたら

サカナクションの山口一郎さんが鬱病と戦っていることを知ったのは昨日だった。何かしらの病気で活動が止まっていることは知っていた。それ以前に突発性難聴とヘルニアに罹っていたのは知っていた。わりかし病気の多い人だな、と思っていた。わたしも普通の人より病気が多いので仲間だな、くらいの認識だった。
(NF OFFLINEで歌った「忘れられないの」が好きで“文章を書きながら聴く音楽リスト”に入れてある。)

確か先月くらいだったと思うのだけど「あれ?山口さんって何の病気で休んでたんだっけ?」と思い「山口一郎 休業 病気」という野次馬根性丸出しワードで検索してみたら、その時は"帯状疱疹"という結果が出てきた。

わたしも帯状疱疹は罹ったことがあるが、そんなに長く休む必要性のある病気ではない。仮に休業の理由が帯状疱疹だったのであれば(わたしは皮膚科の医師でもなんでもないので適当なことを言うが)それは命に関わるほど重い症状だったことになる。帯状疱疹の神経痛は気絶しそうなほど痛いが、専用の錠剤を飲めば1週間くらいで症状は緩和されるはずだ。
だから、山口さんの休業の理由が帯状疱疹であるとはちょっと考えにくかった。「何の病気かは公表してないのかもしれない」と思いその時はそこで調べるのをやめてしまった。


昨日、Xを見ていたら『「病気を公開しながら、音楽を作っていく」――サカナクション・山口一郎、うつ病との闘い #病とともに』というインタビュー記事をご本人がポストされているのを見つけた。

「あぁ。鬱だったのか」と思い、すぐに記事を読んだ。
鬱病の症状は人によって大きく違う。同じ鬱病という括りの中でもわたしには全く理解できない症状の人もいる。
所感では、自分とぴったり同じ症状の人はこの世には存在しないと思っている。しかし、山口さんの記事を読んでとても驚いた。わたしと鬱の症状がとても似ていた。今まで読んだり聞いたりした症例で一番近い。具体的にどう似ているかを説明するのは難しいのだが、絶望するタイミングも、浮上するタイミングも、魚みたいに見える目も、なんとなく似ている。それによってわたしが救われることはない。仮に山口さんが鬱から全快しても、わたしの体調が良くなるわけではない。そんなに簡単ではない。でも、症状が似ている、というのはひとつの事実として胸に残った。

もう本当に死んじゃうんじゃないかとか、元に戻れなかったらどうしようと考えてしまい、精神的に追い込まれた。


これがわたしの鬱の症状を正確に説明してくれている。わたしもとにかく“元に戻れるかどうか”を考え続けていた。
わたしは鬱病以外にも精神的な疾患がいくつかあるので(社会性不安障害、パニック障害etc)それらを鬱と切り離して、とりあえず鬱の状態さえ改善できれば他のことも連動して改善されていくはず、と考えるやり方と、スナノラジオという一人の人間、一つの魂として全ての問題と対峙するやり方があると思う。
わたしは前者の鬱とそれ以外を切り離して考えるやり方で昨日まで過ごしてきた。
なぜなら、一人の人間、一つの魂として自分を俯瞰で見てみると、精神疾患のほかにも網膜剥離によって失われた右目の視力や、頸部リンパ肝腫と頸部膿瘍によって失われた歌声まで全て一緒くたに考える必要があり、その現実はわたしにとってかなりしんどいものだったからだ。子供の頃から好きだった歌がもう歌えないというのは、右目の視力を失ったことと同じくらい正直辛かった。
山口さんのインタビュー記事に

「当たり前に過ごすって、すごいことだと思う。例えば会社員の人なら満員電車に乗って、上司もいて、人と自分を比べて……体調が悪くなるのも当たり前。今の社会って、あっさりと簡単に人を見放すじゃないですか。一回輪の外に出てまた中に入るのはすごく勇気がいる。傷ついたことを受け入れる社会になってほしい。きれいなリンゴも傷んだリンゴも、リンゴはリンゴですよね」

という言葉が紹介されていた。わたしはとても傷んだリンゴだ。わたしはそのことを情けなく思って生きていた。
「視力も歌声も手放して、あとは死を待つのみですね」と脳内でほくそ笑んでいる自分がどこかにいる。確かにいる。くくくと口を斜めにして笑っている。
こいつはわたしの性格の悪い部分だけで構成された"悪魔"のような集合体だ。

この悪魔がいるおかげでわたしは自分が傷んだリンゴであることを自覚できていて、できすぎていて、“前向きの前ってどこですか?”という状態でずっと生きてきた。

「うつ病の自分を受け入れる。その習慣が新しい自分を生み出し、新しい音楽を作り、それをメンバーやスタッフがいいねと言ってくれたらやればいい。この病気と寄り添い、乗りこなして生きていく覚悟です」

わたしも新しい自分を受け入れなければならない。手放したものはもう戻ってこない。自分が今持っているものを改めて認識することからはじめてみよう。

冷たい水を飲んだらおいしいと思う。窓を開けたら風を頬で感じられる。空を見たら微かに星が見える。両手両足がある。ラジオを聴いたら楽しいと思える心がある。目を閉じてじっくり考えたら文章が浮かんでくる。
わたしは今もたくさんのものを持っている。


#鬱病
#エッセイ
#山口一郎 さん
#鬱との共存

いいなと思ったら応援しよう!