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NHKドラマ「パーセント」を見て〜分かりたいから、ぶつかる。〜


NHKで全四回に渡って放送されたドラマ「パーセント」が先日最終回を迎えました。

多様性月間というテーマに即し、障害当事者のドラマを作ろうとするも、周りに流されてばかりでいまいち頼りない若手新人女性プロデューサーと、四肢にハンデを抱えている以外は至って健康体で、学校に通う傍ら、身体障害者の人達が集まる劇団に所属し役者を目指しているという青春真っ盛りの女子高生の交流を描いた作品。
とだけ書くと「健常者と障害者の物語」と思われそうですが、その実「健常者と障害者」という枠を飛び越えて「個人と個人」がぶつかり合いながらもがきながらも歩み寄っていくという一つの人間ドラマとして素晴らしい作品でした。


障害者=弱者という偏った固定観念への痛烈な批判

「障害は個人ではなく受け入れに問題がある社会の方にある。そんなのはもう常識でしょ」
「車椅子だから、テレビとして見た目で分かりやすいから声をかけてきたんでしょ?」
「そんな理由で話しかけてこないで」
…一話目の序盤から車椅子の女子高生・ハルの痛烈な一言で、このドラマは某二十何時間TVに完全に喧嘩を売ってるなぁ、と痛快な気持ちになりました。
(後に感動ポルノ、というワードも出てきましたしね)
主人公のプロデューサーの抱えている最初の企画からして「クラスでカースト下位の車椅子女子がイケメンのカースト上位の男子と出会って云々かんぬん」という、明らかに障害者を「弱者」として扱っているもので当事者からしたら失礼極まりないものだったんですよね。

しかし、主人公は実際にハルの芝居を見て、車椅子云々関係なく役者としての彼女に強く惹かれていきます。
先にも述べましたが、ハルは車椅子というハンデこそあるものの本当に健康体そのものと言っていい少女で、自分よりもいくらか歳上の業界人である主人公にもはっきり自分の意見を言える、むしろクラスにいたら人気者グループにいそうな女の子です。
「カッコいいハルちゃんが見たい」
そんな主人公の思いから、「車椅子の三軍女子とイケメンの一軍男子の恋愛ドラマ」は当初の構想とは全く逆の「地味でイケてない三軍男子と、車椅子ユーザーでクラスの人気者の一軍女子の恋愛ドラマ」へと生まれ変わっていくのでした。

「障害者」「女性」というレッテルを貼ることが果たして「配慮」と言えるのか

この主人公、未来は、かつてとあるドラマに強い感銘を受けたことがきっかけでメディア業界に入り、この度めでたくドラマの企画を任せてもらえるようになった…のですが。
一言で言うとあまりにも頼りない&無神経すぎる
周りに合わせて当たり障りのないように終始苦笑いで済ませて、自分の意見をはっきり言わない。
かと思えば、図星を突かれるとブチ切れたり不貞腐れたりして周囲を混乱させる。
ハルたち身体障害者の人達に対しても明らかに見下したりするような差別をすることはありませんが、指に障害のある店員さんに対して「編集するときTVには映らないようにするので大丈夫ですよ」とナチュラルに酷いことを言ってしまったり…。
なぜこんな子がドラマの企画なんて大仕事を任されたのだろう…とずっと怪訝に思っていたのですが、それもそのはず、多様性月間で若い女性にもチャンスを与えようという試みからドラマの企画を任されたに過ぎなかったんですよね。
しかし、それは確かにチャンスを貰ったということには間違いはありませんが、決して自分の能力を評価されたというわけではありません。
果たしてそれは「配慮」と言えるのでしょうか。

「障害者」というレッテルを貼らないで、というハルの訴えは、実は未来自身にとっても「女性」というレッテルを貼られていて、女性だからというだけで仕事を任されていたのだ…とリンクしていく展開は本当にお見事でしたし、同時にこのドラマは「障害者と健常者」というカテゴリーを超えて、男性と女性、若者と年配の人、様々な「属性」を持った人達を描こうとしているのだな、と思いましたね。

実際、自身がプロデューサーに選ばれた理由を知り、モヤモヤを抱えることになった未来は、ハル個人のことをもっとちゃんと知りたい、と思うようになり、(ハル本人からはウザがられながらも(笑))彼女の中でのハルに対する認識も「車椅子だけど頑張っている女の子」から「ちょっととっつきにくいけどお芝居に対してとてもひたむきな女の子」へと変化していきましたしね。
「障害者」や「女性」という属性ではなく、その人個人と向き合うことが大切なのだということは後々のドラマの展開でも描かれていきます。

多様性、ジェンダーというものに形だけは配慮の姿勢を見せながらも中身は全くついていけていないメディアの内部事情

そんなこんなで紆余曲折ありながらも始まったドラマの撮影。
しかしここでも、この作品ではメディアの内部事情をこれでもかというほど赤裸々に映し出しています。

多様性月間だからと障害当事者を俳優として採用することになったこの企画。
しかし、主役を演じることになったハルの「劇団の皆も一緒に出させてほしい」という希望は一応通ったことは通ったものの、一人一人の障害に配慮するほどの時間もコストも人手も足りないからと劇団員の役者たちの出番はどんどん減らされる

本来、現場をまとめる筈のプロデューサーである筈の未来も経験不足故にうまく現場を回すことができず、せっかく縮まってきたハルとの心の距離もまた開いていってしまう。

しまいには、主演のハルも「演技がキャラクターに合っていない」「色々と配慮をしないといけないのがなかなかキツイ」という理由から出番を減らされるようなことになっていってしまう。

ハルが室内で車椅子を降りて移動するシーンも、本人にとってはいたって普通の日常なので割とスムーズに膝を使って移動できるのですが、「もっと大変そうに動いて」と指示されたりと、明らかに「TV映え」を意識してるような演技指導には見ているこちらもモヤモヤとさせられましたね…。
極めつけには、スタッフから小休止として飲み物を用意された際の「喉に詰まらせたりしないかな、大丈夫かな」という過剰な気遣いについにハルも「そこまで気を遣わないで」と叫び出してしまう始末。
多様性、ジェンダー、等などと口では言いつつも現場の人達の意識はまだまだ追いついていないのだな…と痛感させられた回でした。

また、奇しくも最近、日本テレビの「セクシー田中さん」という漫画原作のドラマで色々な問題が浮き彫りになってきていますが、この「パーセント」の中でも「視聴者は分かりやすいものを求めてるから伏線とか難しいこと考えずに単純なものを提供しておけば良いんだよ」的な台詞があり、正直視聴者を馬鹿にしすぎではないかとカチンとくる言い方でしたが、実際にこういった考えの人はマスコミ業界には多いんだろうなと思いますね…。
若手プロデューサーの未来が実際には現場を全くまとめることができず、障害当事者の俳優陣の出番がどんどん脚本から削られていくことにも何も意見を言えず、「若い女性なので起用されました」と完全に形だけのお飾りのプロデューサーとなってしまっていることに関しても色々と闇を感じました。

人と人とは分かり合えない。でも、分かり合いたいからこそぶつかる。

色々な挫折や失敗を繰り返しながらも、未来がとある機転を利かせ、劇団の障害者の役者達の出番は増え、ハルの出番が減らされることもなくなりました。
また、ハルもハルで「車椅子だからって障害者という目で過度に見ないでほしい」という気持ちが強いあまり車椅子ユーザーである自分自身をどこかで受け入れていなかったのでは、ということに気が付き、車椅子であることも含めありのままの自分を受け入れよう、と意識するようになり徐々に彼女の演技も彼女らしさのあるものになっていきます。

そんな未来のもとに、彼女がかつて憧れたドラマの脚本家が正式に脚本を担当してくれるという機会が訪れます。
もとは脚本家志望だった未来の彼氏がおおまかなストーリーを考えていた脚本。
でも、制作側の都合でどんどん主要な伏線等がカットされていってしまい、ついにはその彼自らが降板してしまうという事態になっていました。
その脚本を憧れの大ベテラン脚本家が引き受けてくれるということで舞い上がる未来。
しかしながら、途中から参加することになった脚本家はこのドラマの本質をまだしっかりとは捉えられていないようで…。

改めて、未来の自分の意見を強く言えないという性格が災いしてしまう、という展開でした。(今回のは更に加えて「憧れの脚本家だから強く意見を言えない」というのもありますが)
プロデューサーという立場なのに周りに流されてばかりでうまくいかない。
また、ドラマの番宣が流れた際の、一部のSNSのネガティブコメントを拾っては落ち込んでしまう。
気分が鬱だからと仕事に遅刻して挙げ句の果てに皆の前に出ず謝りもしない。
率直な気持ちを書かせていただくと見ていて本当にイライラさせられるな〜と思わされました…苦笑
でも、一方でこういう子リアルにいるよなぁ、とも思うんですよね。
伊藤万理華さんの、周囲の顔色を伺うような目の泳いでいる苦笑いの演技がとてもリアルでした。

そんな彼女が目を覚ますきっかけになったのは、やはりハルでした。
ひょっとしたら誰かを傷つけてしまうかもしれないのに何故自分はドラマを作るのか。
そんな自分の思いとしっかり向き合ったハルは、やっと脚本家に、自分の上司に自分の率直な思いを伝えることができます。

最終回で描かれたのは、どんなに距離が近づこうと本当の意味で人と人とは理解し合うことはできないし衝突することだってある、ということでした。
考えてみたら全く違う家庭環境で育った赤の他人同士なので、本当に心の底からわかり合うことはできないというのは当たり前のことなんですよね。(実の家族であっても、血の繋がりはあれどわかり合えないことはありますし…)
そして、それは健常者も障害者も、男性も女性も関係ない。人と人との話なんですよね。
特に身体的なハンデを抱えているわけではない未来も、脚本家志望だった彼氏と何度も衝突し、彼氏に去られてしまったという苦い経験をしてしまいました。
人と関わろうとすることは自分も傷つくし相手も傷つけてしまう可能性もある。
でも、だからといって関わらないようにする、というのでは何も始まらない。
障害者や女性への「配慮」という形で距離を取ってしまうのではなく、人と関わる上で、傷つけてしまうことや傷つくことを過度に恐れすぎないでほしい。
そういうことをこのドラマは全四回をかけて言いたかったのかな、と思いました。
(このドラマのせいで障害当事者を傷つけてしまうのでは…と一番気にかけていた制作スタッフの方自身が、実は家族に身体障害者がいるという事情があった、というのもとても考えさせられる設定でした。身近に障害者の人がいるからこそ、傷つけてはいけない、と過度に気を遣ってしまい、過度に気を遣ってしまうことがかえって当事者をモヤモヤさせてしまうことになるんですよね…。)

まとめ

全四回という短期間のドラマで、なおかつNHK大阪局制作の作品なので知名度や視聴率という面ではどうだったのかな、という感じでしたが、非常に見応えのある、考えさせられるドラマでした。
民放と違って視聴率に左右されることのない、NHKらしい手堅い作品でしたね。
現場に振り回されもがき苦しむ非常にリアルなキャラクター造形の主人公未来を演じた伊藤万理華さん、お芝居にひたむきで芯の強い女子高生ハルを演じた和合由依さん、お二人の演技もとても良かったです。
(和合さん、東京パラリンピックでの「片翼の飛行機の少女」を演じた女の子だったと後に知りました。すごいチャンスを掴んだと思いますし今後は是非民放ドラマでも彼女の演技を見てみたいですね)

NHKは昨今の報道のスタンスに色々と思うことはありますが、ことドラマ制作というものに関してはやはり質の高いものを作り出してくれるんだな、と改めて感じられた意欲作だったと思いますし、今後も民放のドラマとは一線を画した(勿論民放のドラマにも良い作品は沢山あります。が、NHKのドラマはやはり民放とは一線を画していてほしい、という個人の願望です)視聴率第一ではない見ごたえのあるドラマを作っていってほしいな、と思いますね。

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