戦国史上、最も魅力に溢れた男
皆さん、わかりますでしょうか?
「人たらし」と呼ばれる程、上の立場の人からも下の立場の人からも、何なら敵からも信用・信頼され、数々の武将と手を組み、最終的に戦国時代を終わらせて日本を統一した男。
サムネでバレバレかもしれませんが、豊臣秀吉です。
▼ 血縁は何も持たず、見た目も良くないところから
豊臣秀吉は、織田信長や徳川家康、その他多くの戦国大名と異なり、元々の出自・親は大名であったり武家出身ではありません。農民か足軽かというのは各種通説があるようですが、どちらにせよ何も持たないところから、「寒い時期に織田信長の草履を懐で温めていた」という逸話にあるとおり、気遣い心に溢れて召し抱えられたようで、そこから出世していきました。
また、織田信長からは「サル」だの「ハゲネズミ」等との言われようですし、宣教師のルイス・フロイスが著した『日本史』でも「身長が低く、醜悪な容貌の持ち主」と散々な言われようです。また、先天的に多指症で、右手の親指が1本多く、右手が六本指だったことも事実として伝わっています。
現代で言うと、特段裕福な家庭に生まれたわけではない、イケメンでもない人が総理大臣に上り詰めたみたいな...。ちょっと前の田中角栄首相みたいですね。だからこそ豊臣秀吉は一般庶民からしても夢があるし、人気があるんだと思います。
▼ 泥臭く何でもやり、敵も誘惑する
では、豊臣秀吉は何が優れていたのか?
ひとつに、泥臭い困難な仕事、人が嫌がる仕事を率先して行っていたようです。1570年(元亀元年)頃の織田信長配下の4武将を表す言葉に「掛かれ柴田に、退き佐久間 (のきさくま)、米五郎左に (こめごろうざ)、木綿藤吉 (もめんとうきち)」があります。
豊臣秀吉は、織田信長から上記のように評価され、金ケ崎の退き口という絶体絶命の戦でも殿(しんがり)を務めました。
また、戦わないで敵を味方にしてしまう調略、つまり敵を味方に引き込む「人たらし」能力が抜群に優れていて、浅井長政との姉川の戦い(1570年)前においても、柴田勝家との賤ヶ岳の戦い(1583年)においても、調略が勝利の鍵になっていることが多々あります。
▼ 優秀な人材にも恵まれる、慕われる
豊臣秀吉は、日本の諸葛亮 (孔明) とも呼ばれる竹中 (半兵衛) 重治を三顧の礼で手を組み仲間にし、その後に同じく天才軍師と呼ばれる黒田 (官兵衛) 孝高とも手を組み仲間にします。
以前記載したとおり、算術算用の得意な石田三成を重用したり、元々織田信長の親衛隊である赤母衣衆出身で柴田勝家の部下である前田利家を賤ヶ岳の戦いで離反させたりなど、豊臣秀吉という人物に仕えた優秀な人物は、それこそ枚挙にいとまがありません。
人間性や魅力などは、直接会って対峙してみないとわからないので、歴史上の人物である豊臣秀吉がどれほど魅力に溢れていたかは想像するしか無いのですが、庶民に生まれてから立身出世して日本統一を成し遂げた人物として、戦国史上、最も魅力に溢れて、優れたチームをつくったことは間違いありません。