2012年8月 下書き

大学出たあと五年弱奉公させて貰った設計事務所、今となればほんまいい経験、素晴らしい期間やったなと。CADがスタンダードになっていく中、和紙に手描きで図面おこしてて、図面枠、事務所名などの雛形もレタリングで。大きな物件だと数百、数千枚にものぼる青焼き作業。ソートなんか勿論出来る筈もなく、三、四徹の果ての実施設計アッブ後にやってくるそれはまさしく荒行そのもの。アンモニアの匂いが懐かしい。そこを辞して、とある縁あって入ったのが大阪に本社を構える、当時サインディスプレイの施工関連を主な事業として営む会社。そちらの東京での立ち上げのため、ペーパー同然の身でありながらマニュアルのライトエースに机とベットだけのせて単身上京したのが七、八年前のちょうどこの季節。東名走行中、その後を暗示するかの如くに、物凄い嵐で前が全く見えず、やっとの思いで辿りついたのが、大した検討もせず契約した、今や様変わりしつつある錦糸町から押上の間に位置するビルの元家具工房跡の一室。そこを事務所兼作業場兼自宅として、先の机とベット、そして駅前のヨドバシで買ったVAIOと電話FAX複合機だけをおいて。普段は現場から現場を昼夜なく駆けずり回り、専らライトエースで寝泊りする日々。あっと言う間にひとしきりの工具、高所作業車なんかもそこそこ使えるようになったり。


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そして現在、数年前からお世話にっている方や前社の社長の心使い、古くからの仲間の助けの中、様々携わらせて頂いているお仕事の関係もあって家族のいる大阪と東京を週一、二回往復する日々。前職のときも単身赴任だったので、かれこれそんな感じでの生活が五、六年に。東京大阪共にいくつかの事務所を状況に応じて間借りしつつ、寝床も東京では同年齢の不動産関連の事業を手掛ける仲間の部屋に、いろんな偶然が重なり、つい最近から同居させて貰い、週末婚状態の家族との本家は大阪市街からは大きく外れた、和歌山との県境で関空も目と鼻の先という立地にある分譲貸しの破格安3LDK。近所のおばちゃんの畑手伝って(半農半X、コロニヘーブ、目論んでます)旬野菜わけて貰ったり、海も近いので毎週のように近所のおっちゃんの釣果のお裾分けにありつけたり。(貨幣以外はかなり儲かってます。)
というわけで、全くもって意図も計画的でもなかったですが、
ソーホー、ノマド、シェア、ローカル、、、
って打ってたらめちゃくちゃ乗り過ごしてた、だん。

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