小山田圭吾と「私が経験した過去の和光学園」のインクルーシブ教育2
和光学園は昔から障碍者を受け入れ、健常者と同じ学級に編入し、分け隔てなく接する。
和光学園真光寺キャンパス(町田市)には、「翼の木」と呼ばれるアメリカハナミズキが植えられている。教職員の中には、毎朝この木に一礼する人もいるのを見たことがある。
この木にまつわるエピソードは和光学園にとって象徴的なものだ。そして和光学園のインクルーシブ教育、共同教育、「共に生きる」というスローガンを象徴するものである。
「翼は心につけて」という映画がある。この映画は実話である。
狛江市に住んでいた中学生の鈴木亜里さんは、骨肉腫に侵され片腕を切断。自暴自棄になりそうな彼女であったが、片腕でも病人や障碍者に寄り添うことのできるケースワーカーになることを夢見て、障碍者を受け入れる和光高校受験を決意。治療のため学業が遅れていたにもかかわらず、懸命の努力で合格する。
しかしガンは全身に転移し、入学を目前にして亜里さんは亡くなる。
亜里さんの両親は遺影を手に入学式に参列、当時の和光高校校長である丸木正臣氏(後に園長、故人)は彼女のことも全校生徒に永く語り継いでいく。そして彼女のことを忘れないために、アメリカハナミズキが植樹され、「翼の木」と名付けられた。
この映画は、僕が在籍した当時、全校生徒が必ず視聴した。そして和光学園の「共に生きる」という理念を伝えられたものだ。
ところが、実態はどうだったのだろう。
僕の学年にも数人の障碍者がいた。その中には殴る蹴るの暴行を含むいじめの標的になった者もいる。また授業についていけなくなったり、介助が特定の生徒に任せっきりになっていた者もいる。
詳しいことは特定されると迷惑がかかるので書けないが、それが実態だ。もちろん障碍者全員が問題に晒されたわけではないだろうし、問題があっても生徒と教員の力で解決したこともあるだろう。だが、僕が見たケースは問題が3年間にわたって放置されていた。
さらに深刻なのは目に見えない障がい、発達障害や精神遅滞だ。僕自身も(当時は未診断とはいえ)その一人かもしれない。どの学校にも一定数、こういったいじめの標的になりがちな子供はいるだろうが、和光学園でも浮きやすい、変わり者に見えてしまう子供は容赦なくいじめの標的になる。
あの小山田圭吾の、いじめを自白した記事にある通りなのだ。目に見えない障がいや、ちょっと変わり者とされる子供は図書室しか居場所がない。僕自身もそうだった。そして加害者は図書室にきて「狩り」を楽しむ。そういう光景は僕も見たのだ。
僕自身は幸いにして大した被害は受けなかったかもしれない。せいぜい机の上にコンドームを放置されるとか、カバンの中のものを学校中にばらまかれるという程度。小山田圭吾のやった事に比べたら・・・・と思う。それに中学3年ころになると僕が被害を受けることは無くなったと思う。僕自身が変わり者であることを貫いたせいか、かえって一目置かれるようになったのかもしれない。
しかし、3年間にわたって、いじめのターゲットになった者への殴る、蹴る、ひどく侮蔑的な言葉を浴びせられる、私物を奪われる、そういったいじめは日常茶飯事で、公然と行われていた。教師による指導は、僕が知る限り皆無だったと思う。
僕はその実態を見て、失望した。和光学園は共同教育だけでなく、平和や民主主義ということも強調する。一般的に「左翼的」な学校ともいわれている。実際に日本共産党の党学校に近い、という印象すら受ける。当時の園長の丸木正臣氏はしんぶん赤旗の常連で、日本共産党の候補者の応援コメントも常連であるし、高校には民青高校班がある。卒業生には日本共産党の専従や、しんぶん赤旗の編集になる人も多い。文化祭や総合学習では基地問題が積極的に扱われる。また当時は国旗国歌法の制定が議論されており、日の丸君が代については「反対ありき」の扱いがされ、保護者会では反対の署名が回ってくるなどした。
それほどまでに和光学園は「平和」「民主主義」を重んじている。それにも拘らず一部の生徒に対するいじめは放置され、また学業についていけない障碍者がいる。これはどういうことだろう。また学級崩壊状態で、私服であり私物持ち込み制限もないことも相まって、授業は動物園状態であった。これが平和な状態であり、民主主義が行き渡っているといえるのだろうかと、少年期の僕は疑問に思った。いじめの標的になった生徒は教室にもいれずに、加害者の暴力をおそれ、ひっそりと生きている。それを取り締まることのできるはずの教員は、何もしない。これが平和と民主主義なのだろうか?
僕は少年ながら、実は彼らの言う平和と民主主義の中に、いじめのターゲットになる者は含まれていないのだと悟った。みんなの人気者の、腕力が強くて声のでかいいわゆる「陽キャ」が好き勝手するのが民主主義なのだ。それは和光学園だけでない。共産党だけでもない。戦後日本の、全世界の「平和」「民主主義」という、正しいものとされている言葉や制度の正体なのではないかと疑いを抱くようになった。この疑問は今も生き続けている。民衆の苦しみを無視して嘲笑うかのように強行される東京五輪、まさに「陽キャのための民主主義」の産物ではないか?そこに排除対象の野宿者、コロナで廃業に追い込まれた飲食店や生活困窮者、自粛を強要され甚大な機会損失を被った人々、学生。多くの民衆の姿は無い。声も届かない。
だから僕は小山田圭吾の、障碍者にたいする加虐エピソードをみてもあまり驚かなかった。「和光学園ならさもありなん」という感じすらした。小山田圭吾のいじめは、複数人で実に堂々と公然と行われているようだ。それを学校が認知しないはずはない。認知していないというなら、それこそ障碍者ネグレクトであり、お前の目は節穴か、ということだ。
僕が怒りを感じるのは、和光は私立の教育機関として、決して安くはない、いや明らかに高い学費をとり、インクルーシブ教育を美しい言葉で宣伝し、障碍者を受け入れているのである。当然だが障碍者が勉学に学校生活に最低限困らないように支援する義務が学校にはある。それを怠っていると言われても仕方がない実態を目にしたし、僕のツイートにより同様の同窓生からの証言が集まった。
小山田圭吾のいじめは、小山田圭吾という異常者・サディストによる単独犯行ではない。学校側の不作為も、彼の嗜虐癖を見逃し、助長したのである。そして責任をもって受け入れたはずの、和光に希望をつないで入学したはずの障碍者を苛烈な目に遭わせたのである。
僕は同窓生として、学校に問いたい。あなた方は鈴木亜里さんに顔向けできますか。ご両親に顔向けできますか。このまま「翼の木」を守るに相応しい学校と言えるのですか。そして、いま世界に恥を発信しようとしている卒業生の小山田圭吾に対して、あなた方はどんなコメントを発するのかと。
ここまで和光を厳しく批判するのは、僕自身が和光を愛する同窓生の一人だからである。僕はある意味では「最も和光生らしい和光生」と呼ばれたことがある。今でも世の中に疑問を感じて、調べ、発信する力には自信がある。それは和光で培われたのであり、和光教育の賜物なのだ。だからこそ、和光学園のインクルーシブ教育の実態、その不備と矛盾が残念でならず、早急に改善してほしいと望む。「できないことはやらない」、これも選択肢だろう。
また小山田圭吾在学時の実態も早急な調査・解明を望む。
追記
以上の内容は僕が在学中のことで、卒業後長い期間を経ている今の実態は知らない。たまに学校の近くを通りかかると、楽しそうな元気な和光生の姿を見かけたり、静かに授業を受けている様子が裏の高台から見えたりする。その姿を見る限りは、小山田圭吾の自白した陰惨な和光の裏の姿は見えてこない。ぜひ、障碍者も健常者も分け隔てなく、楽しく共に生きる和光であってほしいと切に願うし、僕が在学時の教員(現在は幹部的立場になっている人もいる)の指導と尽力により、いじめを見逃さない、絶対に許さない学校になっていると信じたい。
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