
退屈には3つの形式があります、第3形式の退屈が人間の深い悩み
主婦とビジネスマン、それぞれの「退屈」
私たちは日々の生活の中で、ふとした瞬間に「退屈」を感じることがあります。しかし、一口に「退屈」といっても、その種類や感じ方はさまざまです。哲学者マルティン・ハイデガーの議論を考察した國分功一郎先生の『暇と退屈の倫理』では「退屈」を3つの形式に分類し、それぞれ異なる特徴があることを論じています。
今回は、主婦とビジネスマン、それぞれの日常を例に挙げながら、「退屈の3つの形式」について考えてみます。
主婦・佐藤さんの場合

第一形式の退屈:外的な要因による「待つしかない退屈」
朝、子どもを学校へ送り出した佐藤さんは、スーパーでの買い物を終え、帰りのバスを待っていました。しかし、工事渋滞の影響でバスが遅れ、「いつ来るのかしら……」とただ待つしかありません。スマートフォンを見ても、特に気を引くものはなく、時間が過ぎるのをじっと待つばかり。
第二形式の退屈:忙しいのに満たされない退屈
ようやく帰宅した佐藤さんは、掃除、洗濯、夕食の準備と、一日中動き回ります。やるべきことが次々と押し寄せ、休む暇もありません。しかし、「今日もまた同じことの繰り返し……」という気持ちがふと湧き上がります。家族のために頑張っているはずなのに、「私は何をしているんだろう?」という疑問が頭をよぎり、心のどこかが満たされません。
第三形式の退屈:理由もなく生じる、深い退屈
夜になり、家族が寝静まった後、ようやく一人の時間ができました。ドラマを見たり、SNSをチェックしたり、楽しめることはたくさんあります。しかし、なぜか心の奥底にぽっかりと穴が空いたような感覚が広がります。「なんとなく、満たされない……」「私の人生、このままでいいのかな?」。特別な理由があるわけでもないのに、漠然とした退屈を感じてしまうのです。
ビジネスマン・田中さんの場合

第一形式の退屈:外的な要因による「待つしかない退屈」
田中さんは出張のため、新幹線に乗る予定でしたが、事故の影響で電車が遅延し、1時間以上駅で待たされることになりました。周囲には人が大勢いますが、特に話す相手もおらず、スマートフォンを見ても時間がなかなか進みません。「早く出発してくれないかな……」と、ただ待つしかありません。
第二形式の退屈:忙しいのに満たされない退屈
ようやく目的地に着いた田中さんは、会議や商談、プレゼンでスケジュールがぎっしり。仕事は順調に進み、周囲からの評価も悪くありません。しかし、どこか気持ちが晴れず、「何のためにこんなに働いているんだろう」と思うことがあります。やることは多いのに、心は満たされていません。
第三形式の退屈:理由もなく生じる、深い退屈
仕事を終え、ホテルに戻った田中さんは、好きな映画を観たり、ゲームをしたり、好きなことをする時間を確保できています。それでも、なんとなく満たされない気持ちが消えません。「何かをしている間は気が紛れるけど、これで本当に充実しているのかな?」と、漠然とした虚しさを感じることがあります。
「退屈の3つの形式」とは?

このように、日常の中で感じる「退屈」には、次の3つの形式があります。
第一形式の退屈:「外的要因による退屈」
例:バスや電車の遅延で「待たされる」時間の退屈
特徴:自分の意思とは無関係に、やることがなくなり、時間が過ぎるのをただ待つしかない状態
第二形式の退屈:「忙しいのに満たされない退屈」
例:家事や仕事で忙しく動いているのに、充実感を感じられない退屈
特徴:外的には忙しくしているが、内面では「本当にこれでいいのか?」という疑問が生じる
第三形式の退屈:「理由もなく生じる、存在そのものに関わる退屈」
例:好きなことをしているはずなのに、漠然と虚しさを感じる退屈
特徴:特定の原因があるわけではなく、根源的な「空虚感」を抱く
『暇と退屈の倫理』を読んで考えたこと

この本を読んで、私たちが普段何気なく使っている「退屈」という言葉が、実はとても奥深い概念であることを改めて実感しました。特に、第三形式の退屈については、日常の気晴らしや娯楽では解消できないことが印象的でした。「なんとなく満たされない」「このままでいいのか?」という漠然とした感覚は、多くの人が一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
また、退屈を感じたときに、それがどの形式に当てはまるのかを考えてみることで、自分の内面を客観的に見つめ直すきっかけになると感じました。第一形式なら、待ち時間を有効に使う工夫をする、第二形式なら、自分の仕事や日常に意味を見出せるようにしてみる、第三形式なら、より深く自分の生き方を問い直す――そんなふうに、退屈と向き合うことで、新しい発見や気づきを得られるかもしれません。
『暇と退屈の倫理』は、日常生活に根ざしたテーマを深く掘り下げており、哲学が身近に感じられる一冊でした。「退屈」という感覚が、私たちの生き方や価値観とどのように関わっているのかを知ることで、日々の過ごし方が少し変わるかもしれません。

上記のブログ記事では「気晴らし」について、私なりにパスカルと國分先生の「気晴らし」についての共通点と相違点を整理した内容です。興味ある方は、こちらの記事もご覧になってみてください。