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難聴でも英語は身につくの?現在IELTS6.0の私が実践した学習法と工夫(その1)
noteを書くときは、
いつもよりちょっぴり背筋がのびる。
このフレッシュな気持ちを忘れずに、
1年、いやまずは3ヶ月、
noteを続けていきたいものです。
というわけで、初めてのお題は英語学習。
もともとは、
日本語もうまく話せなかった私ですが
今は英語で仕事をする場面も時折あります。
IELTSという語学検定では OA 6.0スコア(英検準一級相当)も保持。
きこえないなりに、
「英語」とどうつきあっているのか?
どんな工夫をしながら学び続けてきているか?
せっかくなので、今回から何編かに分けてまとめてみます。(ねじりはちまき)
英語に出会いたての初期の頃
幼少期は「にほんご」を身につけることで
手一杯だったわたしですが、
中学生になって、新たに「英語」も学ぶことに。
ふわっと中高一貫の中学校に入学したもので、
まわりは 英語がデキる同級生だらけ。
正直なところ、
自分が「できていない」
自覚すら、持っていませんでした。笑(とおいめ)
当時中学一年生、初夏のとある日。
アルファベットの発音が
伸び悩んでいる私(本人無自覚)に
気づいたらしき
英語ペラペラのベテラン先生に、
理科室へ連れて行かれた。
そうして、始まったのは
1on1 発音トレーニング。
実験用の机の上に広げられたアルファベット表と
Apple, Bear, Cowなどの イラストを眺めながら
アルファベットを "A"から順番に
ペラペラ先生が言う。
その口と声をまねて、
私も、ひたすら発声する。
口元や話し方に
妙に特徴のある先生(唇かなり厚め)だったので、
英語の発音練習に集中したいけど
自分の目に入ってくる情報が多すぎて
何を意識し、何を覚えればよいのかが
「ふぁっ???」となりかけた記憶が。
(何かを学ぶときは
学ぶ事柄以外の余計な情報は削ぎ落とす、
これ地味ですが大切ですよね!)
うら若き中学生は全力で逃亡したくなった
『正直ちょっといやだけど、今はこれやらなくちゃ』
と、一生懸命リピート練習をした。
えらかったぞ、私。(しみじみ)
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画像出典 https://kidsclub.co.jp/column/2024/5011/
これが、私が英語なるものと
ゆるり付き合いはじめた初期の頃で
印象に残っている場面です。笑
その個別英語発音トレーニングは
何回か続いたのか?
今はもう思い出せないけど。
耳でよくききとれないので
アルファベットの発音ひとつひとつが
とにかく未知すぎて、
舌やくちびるになじむ(=再現できるようになる)
まで相当な時間を要したものの、
『わからない』
『こうやるの?』
『違うっぽい』
『これはマシっぽい』
を繰り返す中で、なんとなく“このへん"ならまわりの人に伝わるっぽいな、と感覚を得ていった。
言い換えれば
アルファベットそのものを、しっかりからだレベルで発するボディセンス(身体感覚)を身につけられさえすれば、特に Speakingにおいて「通じる」「伝わる」英語に仕上がる度合いは、ぐっと高まるように思います。
耳がきこえない、きこえるにかかわらず、
英語という言語に関しては
筋トレと同じく、継続して
せっせとトレーニング(実践&改善)することが上達のポイントのひとつなんでしょうね。
"英語、面白そうかも"と思えたきっかけ①
それから時は流れ。
中学・高校で英語の授業程度の
勉強は続けたけれど
それほど熱もなく、嫌いでもなく。
文章は少し書けるけど、
特段うまく話せはしない。
実際、英語のレベル別クラス分けも
高校の3年間、ずっと真ん中のクラスだった記憶。
そんな私も夏休みには
ハワイやカリフォルニアに
行く機会があり。(というか、親におねだりした)
流暢な「英会話」をするには
ほど遠いコミュニケーション力だったものの
ホストブラザー(5歳)が
だだこねまくりながら叫ぶ
“I want to eat Pizza!!” は
なぜか聞き取れた。
普段、日本でなんとなく、耳にしている
『ピザ』
とまったく異なる、
天パでまつ毛もくるくるの
可愛いアメリカ人の5歳の彼が発する
『ぴィっツァ』(ニュアンス)
を生で聴いたとき
ふおおお、生きてる英語だあー!!(鼻息)
と、謎の感銘を受けてしまったのでした。
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「英語」は
「英語」らしく喋ってなんぼだ!
という、謎の度胸を得たのも
このホームステイがきっかけだったかも。
5歳の男の子とマジ喧嘩をしたことは
あまり大きな声じゃいえないですけど。(小声)
英語をうまく聞き取れなくてもいい。
ひとまず 今の自分の思いを
身振り手振りまじりで、全力全身で伝える。
思いを自分のことばで伝えると、
それに相手が反応してくれて
相手との「コミュニケーション」が自然と始まる。
人と出会い、やりとりする楽しさ。
試行錯誤し、伝わるうれしさ。
「英語」をつかう場面では
そんな原点に対する実感と喜びが得られやすいのかもしれないですね。
今ふりかえると、
10代の比較的早い時期に
そんな気づきを体感ベースで得られたことは、
難聴なりに英語を学び続ける推進力
になったように思うのです。
“英語、面白そうかも”と思えたきっかけ②
そんな私に
“英語、なにやら面白そうかも?!”
という次なる気づきが起こったのは、
大学生のとき。21歳ぐらい。
当時流行していた(気がする)
海外ドラマ Sex and the City のDVDにはまり、
日本語字幕で見終わったので
2度目は英語字幕設定で鑑賞。
登場人物のひとり、
サマンサがゆったりしっとりと話す様子を、
英語字幕を追いかけながら
ぼんやりと眺めていた。
今のように補聴器🦻とテレビを
Bluetoothを介して無線でつなぐような
しゃれたテクノロジーはまだ現れてないので、
テレビの音を大音量で聴いていた大学生の私。
次の瞬間、
「あ、英語ってこのリズムで話すんだ!」
サマンサが発した「ことば」の波が
自分の中に伝わってきた気がしたのですよ。
それまでは、
英語は単なる「ことば」で
自分以外の人が 外でやりとりしている
ぼんやりとしたものだったのが
英語がある種の
温度感・実体・輪郭をともなって
自分の中に「響いてきた」
・・・そんな感覚だったような。
もう少し具体的にいうと
単語と単語をつなげて文章で話す時に
wake up なら
ウェイク アップ というよりは
ウェイカップ
Nice to meet youなら
ナイス トゥ ミート ユー というよりは
ナイ(ス)トゥミーチュー
さらに単語同士のつながり方(リンキングや脱落)に加えて、文と文をどういう呼吸感でリズムを刻みながら話していくか。
あー、そうやって話すのね、と言うのが
英語に触れ始めて8年ぐらいして
ようやっと自分のなかでつかめたのでした。
理科室の英語の先生が
語りかけてくれた
アルファベット一つ一つにはじまり、
先生や同級生が話す英語やら
5歳のホストブラザーと喋った英語やら
海外ドラマの英語字幕付きの英語やら
たとえきこえなくても
内容がわからなくとも
何百、何千回と耳を傾けているといつか、
ちょっとからだに「響く」
そして「わかる」瞬間がくる、のですかね?
じわじわと熟成していく、発酵菌みたいなものだね。遅いけど、これはこれでなんだかいいものですな。(大の字)
サマンサ並みに話せるようには今もなってないけど、英語ドラマを字幕と一緒に見まくったことがひとつきっかけになって、特有のリズム感や抑揚の付け方が自分なりに捉えられたのは大きかったと思うのです。
その2 に続きます。
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