【have a strong desire to ~】

『女子高生』を拾ったことは無いが、酔っ払いを拾ったことがある。

自宅マンション敷地内の駐車場に寝転がっていたのを、居住関係者と勘違いし、思わず声を掛けた。深夜遅く、死角に横たわると、端的に轢かれる恐れがあり、もし看過して事故が起きたら、心中穏やかでいられない。gender-schemeどちらにも寄らない服装と体躯、そして栗毛のモジャモジャゆえ、ぱっと見に性別が判らない。酩酊の相手に、幾つかの問答の末、一旦、部屋にいき、急須から淹れた煎茶を持って戻ってくる。熱がりながらも啜り飲み、感嘆の息を漏らしている。束の間、茶を啜る音と、時折熱さにむせる音だけが駐車場内にこだまする。

管理会社なり警察なりに直ぐ連絡しなかったのは、問答の最中に面白いことを発見してしまったからで、その底知れぬ得体の知れなさに、興味の方が勝ってしまったのだった。最初は型通りの問い掛けをしていたが、ふと思い、"Do you need some help?"と問うと、投げつけるようにして荒っぽいnativeが、反射のように返ってくる。さらに時折、まるでひとり芝居かのように、突如"人格"が切り替わり、流暢にフランス語を喋りだす。連動するようにして、それぞれにそれぞれの身振り手振りがついている。言語が切り替わる度、自分がいま"何人か"を立証するように、発音の隅々まで再確認している、そんな全ての立ち振る舞いだった。眼前の、混濁し制御不能な、唐突に切り替わる"精密なトリリンガル"に、心から魅了されてしまっていた。言語というのは身体の"一部"なのだと、強く思った。

聞くと、高校卒業してすぐ渡仏した、アーティスト志望の男の子で、現地の学校に通いつつ、芸術系カメラマンのアシスタントに入っている。時々日本の新聞社の、現地駐在員から貰う、下請け写真仕事等の"小遣い稼ぎ"をしながら、仕送りと併せ何とか暮らしている。海外に渡っての初めての長期休暇で、二年ぶりに日本に戻り、旧交をあたためているうち飲みすぎてしまった。疲れ、安堵、里心。時折入る英単語やフランス語が逐一"流暢"で、もしかしたらそうしていないと、不安になるのかも知れなかった。

彼が再渡航する前に、一度落ち合い、飲んだ。日本滞在での最後の夜は"新宿"、とお仕着せるわたしと、家電量販店に託した現像フィルムを回収する、彼の都合とが合致し、それぞれの用事を済ませた後、待ち合わせてビールを飲んだ。"不適切"なものさえ適切に配置される、"自意識の無い"雰囲気は、出鱈目な邂逅に良く合っていた。浅薄で深慮な、ティールブルーの尾羽根のように、視る角度で印象を変える。名物や思想や信仰を持たない街、新宿。無感情に"gate"で仕切られる国際空港のように、どこまでも居心地がよかった。帰りしな、照れと終わりの予感から、言葉少なに互いに並び、駅まで歩く。交雑し喧騒する、見慣れた街の在り様は、紫外線で透し診るように、違った質感で立ち顕われてくる。属性に還元出来ない者の隣で、慣れ親しんだ雑踏を、"transit"の旅行者のような気分で歩く。彼の孤独や戸惑いが、恭順し乗り移ったかのようだった。

思い立ち、不意に"アンガージュマン"と独言する。知っている唯一のフランス語、というのはウソだが、この場以外で、きっと一生使うことはないだろう。彼は鼻に抜けるキレイな声で、追憶に縋るように、"engagement"と復唱する。

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1996年初秋、旧国鉄操車場跡地の再開発事業の"中核"として、『新宿高島屋』は開館する。それに伴い、東京を横断する甲州街道は橋梁化し、のちの新宿バスターミナル"women"が、道路脇に横付けされる。わたしは96年当時、学区が廃止された直後の、地元をすこし離れた中央線沿いの高校に通っており、その帰りしなに新宿で降りて、家までかなり歩き帰る日々を過ごしていた。今のように"歩くブーム"は影ほども無く、どれだけ効率良く移動し、どうにかして"歩く距離"を省けるかを皆がまだ競っていた頃、ふらふらと歩きまわるわたしを、家族はかなり白い眼で視ていた。歌舞伎町を抜け、大久保に続く百人町の辻々には、かわたれ時を前に、"仕事"の準備を始めるオネーサンと、"無限テレカ"を売るイラン人がちらほらと現れ始め、学生服姿の"student"は、彼等からは見えていないようだった。治安が悪いというよりも、どこかまだ牧歌的な風景だった。振り返る今、無秩序に生成しては廃れる、荒っぽい新大久保を眺めていると、あの頃はまだ"嗜み"があったのだと、ぼんやりと思う。

余談だが、大人になり、山手線で新宿駅に降りしなに、連れにホームで泣かれてしまったことがある。無意識下で、『南口(に用があるの)だから、上(階段を上昇)に決まっている』と投げつけてしまった、らしい。後から上に被さるように"増築"された『新南口』は、JR線各ホームからにおいては全て出る際に"上"に向かう。だから階段を昇るのは自明だ、という話で、地方出身者を馬鹿にするつもりはなかったのだが、不躾な言い方が彼女を傷つけてしまった、らしい。感じない痛みをなぞるように、通り一遍謝ってみた、が、反省は今もしていない。

渋谷と違い新宿は、論理的なアプローチがかなり有効に機能する。年次が積み重なるように区画毎に整備され、その下ではsynchronizedに"地下茎"が延びていく。その地下街も複雑なようでいて、階層またぐlayeredは殆どなく、地上の様子を頭に描ければ、複写するようにその下に"回廊"が拡がっているだけ。地上の"世界線"をどれだけ把握できるかにかかっている。丸ノ内線に乗ろうとして、うっかり一駅歩いてしまうことにさえ気をつければ、ほかに難しいことはない。"増改築建築のような渋谷駅"や、"終わらない横浜駅"と違い、新宿や、そして池袋は、都市計画『副都心構想』に棹指す("副都心"を繋いだのが、都道環5明治通り下を走る"副都心線")"シミュラークル・シティ"であり、"新海誠"らに上書きされる、不健全や不適切さを剥奪(≒"適切"に配置される)される、"アニメーション・シティ"になりつつある。

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女性のある役者がインタビューに応え、"「女優」は誉め言葉だから、自分の口からは名乗れない"、と前提していた。失礼を承知で言えば、まだ二十半ばの"可愛らしいオンナノコ"で、しかし、彼女がメディアに出演する折りに見せる「言葉」の端々は、用法としてつぶさに忠実 ―慇懃とは真反対にある、適宜過ぎてどこか抑制的な印象を受ける― そんな佇まいをもつ俳優の、"正常"さを顕す一言だった。メディア報道や新聞紙面等でも、今でも時折『女子高生』の語呂を見かける。文脈からは、必ずしも"性的な記号"とは呼べないものの、何の照らいや注釈無しに使う姿勢に、違和、というか嫌悪を覚える。

1996年当時、池袋の目抜きである"サンシャイン通り"には、商業施設サンシャイン・シティ地下に拡がる、ギャル服専門店街を往還するように、"女子高生"が溢れていた。96年にもなると、高校生の援助交際の話は人口に膾炙していて、わたしの通う辺境の都立高でも、日焼け肌にルーズソックスの同級生が、各classにひとりかふたりいた。高校当時、日焼け(日サロ通い)はともかく、"ルーソ"は誰しもが履いていて、ソックタッチの貸し借りが日常的な風景にあった。日焼け+ルーソが、必ずしも=援助交際を意味する記号ではなく、世間の眼差しとはウラハラに、"彼女たち"じゃない方の、ふううの子たちの方が、オトナに声を掛けられる率が高かった、と後に指摘されている。

その池袋の、目抜き通り片隅の、雑作のない道端で、女の子が声を掛けられていた。サラリーマンに、"イチゴーなら"と応じる、少女の肌は荒れていて、塗り重ねるファンデーションが上滑りし、ぱっと見彼女が自分よりも、年上なのか年下なのか判らなかった。制服らしい格好をしていたが、もしかしたら"学生身分"ではなかったのかも知れない。地肌の色は"普通"か、むしろ平均より白いほうで、コントラストに映える赤いリップが強く印象に残っている。当時メディア通じ、耳年増的に知ってはいたが、realに遭遇するのはかなりの落差があり、衝撃というか、今思えば、わたしは勝手にどこかで傷ついていた。

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角田光代の『ひそやかな花園』では、"家出少女"を自宅に泊め置く男がでてくる。軟禁するわけでも、性的な関係を結ぶのでもない。何もしないまま、単純な労働作業の待つ現場に向かう。泊めて貰う見返りに、性的な"お礼"を返そうとする少女もいるが、男はそれに応じない。暫く経つと"家出少女"は、自ら男の家を出て行く。中には、どこかで稼いだお金を置いて、出ていく女の子もいる。

『ひそかな花園』は、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』へのオマージュ作品と思っています。プロットや設定を、角田光代なりに再解釈し、翻案"adaptation"したものと色濃く感じます。或いは、そうアングルをつけて読むと、『わたしを離さないで』への強度も増し、両作品の理解が深まる、そんな水面鏡のような作品と思います。

"家出少女"を泊める男はやがて、その"見返りのない無償の行為"を止める。理由はとくに描かれない。彼の中で何かが飽和し、何気ない日々に着陸出来るようになる。"普通"を一生懸命なぞろうとしていた、意味の無い反復行動に自ら見切りをつけて、普通に暮らせるようになってゆく。池袋で『少女』が売春する様子を見て、なぜわたしが傷ついたのか、今でも明確には答えられない。女子高生売春についていえば、買う男が悪い、で多分終わりだ。だが問題は、○○が悪い、で片付かない、"中間領域"にこそ蔓延し、しつこく巣くっていく。石原都政の行った『歌舞伎町一掃作戦』は、界隈に住まう生態系の不安定さを増しただけで、何ひとつ一掃されていない。風俗業界はアングラ化したおかげで、『女の子達』は常に"本番リスク"に晒されている。


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くだんの、トリリンガルの自称アーティストが、夢敗れ日本に戻ってきたら、きっとインバウンド相手のコーディネーターをして生計を建てるだろう。"真面目"に免許を申請するのか、社会保障費や税金をきっちり収めるのかはわからない。が、あの時点で"北京語"もかなり習得していたし、"写真"もあれば、食うに困ることは無いと思われる。そうして見通しなく働きながら、どこかで拾った"家出少女"をアパートの一室に泊め置くような、そんな日本であればいい、と、どこかで本気で思っている。大きなビルの窓ガラスに写すように、制服の下にジャージを履いた女の子達がいつまでも踊っている。性的な眼差しから解放された彼女たちは、あの頃の"女子高生"たちより、ほんの僅かだけ『自由』にみえる。

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