見出し画像

~やが君~ 感想戦

書こうか、書くまいか迷ったもの、流れにうまく収められなかったものなど書いてみます。なお、言葉にするのは時間が掛かる方だと自覚します。"初期衝動を失わない範囲で"書き換えることを厭いません。ブックマークの際には、ご海容ください。では以下、"言わば"~じゃない方を。(※ネタバレ注意)

原作を隈無くみると、随所にメタファーが散りばめられているのが、よく解ります。"侑"の紋章である『クラゲ(メンダコ?)』、チンアナゴ(砂に隠れて姿を現さない)ラインスタンプ"ネコのようなネコではないオバケ"、バスケ部先輩の"やさしい嘘"によるプラクティスガイド。扉絵うしろの、"5巻" 『螺旋階段』を登る"侑と七海"("侑"が上方で導く構図)。"6巻" ペアダンスを躍る"侑と七海"("七海"リードの構図)。"8巻"『風防ガラス』の灯火(=燈=ともしび)を"侑"が持つ、その手を"燈子"が握っている(『入れ子構造』のさらに"入れ子")。そして"マーガレット"の花言葉。

『やが君』を"一言"で表すとしたら、それは『"regret"では無い』と、ずっと思ってました。

regret=後悔、遺憾、regretion=後戻り、退行

作中を真似て、"否定形の先取りによる専主防衛"(ex.わたしを嫌いにならないで)から入ってみましたが、この感覚を「リグレット」と言ってしまうと、なんかちょっと違う。勿論、作中「七海」のように、「言葉」に当てはめなくていい、というのはその通りなのですが、それでもアナリーゼをして改めて思ったのは、仲谷鳰先生、初連載作品というのもあるかも知れませんが(なんて恐ろしい‥『佳作』とか言ってゴメンナサイ)、がっちりロジを堅めてくるタイプとご拝察します。とすると、作品冒頭の"小糸 侑"のセリフ。

"(中学に)‥忘れ物ひとつ。"

は、物語の導入を促す"プラクティス"と解すのが『普通』なのかな、と。
青春の"ワスレモノ"しているあなた、ここから先は『"小糸" In Wonderland』の「入り口」ですよ。∴『生徒会へようこそ』。

『プラネタリウム』に始まり『水族館』に抜ける。『劇中劇』を頂点に『修学旅行』で佳境に入る。共通して『~を模したもの』の地平。でもそれは、ニセモノとホンモノをより分ける、というより、"佐伯沙弥香"の『沙』の字義のように『良いものと悪いものをより分ける』、或いは"ニセモノ"と呼ぶ、"ホンモノ"と呼ぶ、その不確かさを『入れ子構造』を徹底することで"アイロニカル(=逆説的)"に析出した、というのがこの作品の本懐なのだろう、と受け取ります。となると、やっぱり"リグレット"と呼ぶのは違う。在るのは"sentimentalism"。認めたくは‥無いですが。(言外)

作中「小糸 侑」に多用される『普通』というキラーフレーズ。
この"言葉"の流行する前段には、『逆に』の"ザキヤマ旋風"がある、と指摘する向きは多い。『逆に』というエモい表現が天井を打って、『普通に』というチルい表現にスイングする。言語ゲーム的空間で、レギュレーションを一にするもの同士の、"示し合わせた"振り子運動。

それ以前の流行は『大丈夫』だったと思う。
"ボクたちは大丈夫で、大丈夫なように、大丈夫になりたかった‥" 

6-7巻で大ダメージを受けて(!)、最終8巻を発売初日の雨の中買ったものの、未読のまましばらくアニメ『やが君』に逃げていたのですが、あれだけ好きだったED曲を、もう以前のようには聴けない…。「好き、以外の言葉で」の、"~気がした♪"は「小糸 侑」独りパート、といったことに過剰な"意味"を見出してしまう。まるで"こだま"(=喫茶「echo」)の残響に、共振するかのように"侑"と重なっている。兎に角情報を入れずに、書けるだけ書いてみよう、そしてご褒美の暁に8巻目を読もう、と決めて今に至ります。…はい、ご褒美でしたマル

ただ、世界中を敵に回す覚悟で言えば、8巻はなぜ描かれたのか。初読に感じた違和を残しておきたい。これを素朴にご褒美と呼ぶためには、読む側にそれなりの強度が求められる。それが、結局リグレット(現在進行)ではなく、センチメンタル(過去完了)という感覚に繋がっている。要は、"これ、ファンタジーでしたね"という仕訳作業が、わたしの中で自動的に進められてしまっている。現在に立脚し、過去を振り返る"遠近感"のなかで、記憶は"sugarcoating"を纏い、結晶化されていく。その作業の中、"錯誤"と"感傷"を読み込んでいく。作者はそれを踏まえて、あの8巻を描いた。

修学旅行のくだりで、「生八つ橋」の"元祖"vs"本家"の『言挙げ』等踏まえると、作者ご本人は(後書き等でも言及)、アンソロジー、スピンオフ、舞台化、アニメーション等々経て、『やが君』の世界は皆のもの、という境地に至った。ニセモノもホンモノも無い。でもそれは"オリジネーター"は揺らがない、という前提のもと成り立つ"空虚な言挙げ"に過ぎない。要は、二次創作が増えるほど、一次の希少性は高まるという逆説があり、そこに作者自ら、"ファンタジー"の衣を纏った「リアル」を描くことで、いわば物語を誠実に纏め上げることで、"やが君"の主旋律である、究極的な『入れ子構造』を完遂させた。『アクチュアリティ=確からしい"物語"』を徹底することで、『アクチュアル="確かさ"』そのものを揺るがせに出来る。あなたのその"確かな現実"は、この"確からしい物語"より濃密か?

ここから先は

2,851字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?