【小説】まひるの宇宙
1
たとえば、細い指の中の鉛筆が、机のすみっこを楽しそうにたたくようになると、勉強に調子が出てきているのです。分数の割り算、三けたのかけ算、なんだってすらすらと解けちゃいます。
たとえば、ななめ下から覗けるなめらかなほっぺが、ちょうどさくらんぼくらいの赤みを差すようになると、身体の調子はすごく良いのです。とび箱八段だってらくらくです。
たとえば、絹のようにしなやかな長い髪が、いつもより大きくふくらんでいるのは、風邪のひきはじめの証拠です。こじらせる前に暖かくして寝ていなければなりません。
まひるはおねえちゃんのことが大好きだから、おねえちゃんのことがなんでもわかるのです。
その朝は、くちびるからもれる白い息がいつもより長かったのです。今日のおねえちゃんは、少しゆううつな気分なのでしょう。雪道を踏みしめる音も、どことなく悲しげな響きに聞こえます。
おねえちゃんより頭ひとつ小さいまひるは、背伸びをしながら尋ねます。
「なにかいやなことあった?」
おねえちゃんは、ほんのささいな仕草の違いでまひるにそのときの気分を読み取られてしまうことを、よく知っています。だから、寒さに張りつめた頬をふっとほころばせて答えるのです。
「昨日、試験の結果が返ってきたんだけど、もっと勉強しないと、いい学校に入れないんだって」
この頃のおねえちゃんは毎晩遅くまで勉強していました。まひるはふとんに入るまぎわによく窓から離れのおねえちゃんの部屋を眺めましたが、常にこうこうと照る明かりと、障子に映る横顔が見えました。
それでもまだ勉強が足りないなんて、いい学校に入ることがそんなに大事なことなのかなあ。この頃のまひるにはよく分かりませんでした。
この山に囲まれた狭く雪深い村では、たぶん、おねえちゃんがいちばんの勉強家で、そして美人でしょう。いとこのまひるにはとても誇らしく思えるのでした。
通学路の土手から望む川の景色は、今朝も灰色に凍りつき、すべてが止まって見えます。今まさにとなりを歩き、暖かい息をつくおねえちゃんが、まひるにとってたったひとつの大輪の花なのです。
まひるは我慢できなくなって、ついおねえちゃんの手を握りました。
そこで、あれっ、と思いました。
(なんだか、ごわごわしてる……)
手の感触がいつもと違う。それは互いの手ぶくろの上からでもわかりました。まるでおねえちゃんが大きなゴムのぬいぐるみで、背中についたファスナーを下げれば、見たこともない怪獣が、ばあっ、と顔を出すんじゃないか――
そんな想像をしてしまうのでした。まひるは思わず足を止めてしまいます。
「どうしたの?」と、おねえちゃんは首をかしげました。まひるは顔を赤くしながら、なんでもないよと答え、凍った地面に足をとられながら先を急ぎました。変なこと考えちゃった。おねえちゃんが怪獣だなんて、そんなわけないじゃない。
まひるには、おねえちゃんのことがなんでもわかりました。わからなければなりませんでした。
だから、おねえちゃんの秘密に気づくのも時間の問題だったのです。
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