大家さんにちゃん付けで呼ばれている。
少し前に引越しをした。
前回のアパート契約では、大家だとか仲介業者だとか管理会社だとか、そういうものに区別が一切付いていなかった。引越しに関する電話が来ても、相手が何者なのかを探り探り通話し、正体を突き止めることなく酷く疲弊して打ち合わせなどを終えるばかりだった。
それもこれも、急遽決まった上京にだらだらした準備のせいで契約が大変雑に執り行われたことが理由だ。対応してくれた会社が「大らか」では決してない雑なコミュニケーションを投げかけてきたことも、拍車をかけていた要因だと思う。突然「LINEでいいですかねぇ?」とか言われ、契約の際に伝えた電話番号を用いて友達登録の申請が届いたほどだ。その電話番号でLINE登録してないかも、とか考えなかったのか。苦手だ。
今回の引越しでは事前に仲介業者に連絡をとり、一日中内見をして、ゆっくりと契約の話をしたため、嫌でも契約に関わるいくつかの立場を知ることが出来た。どうやら今回は、明確に大家と呼ばれる立場の人間がいるらしい。おっとりとした大らかな女性だと言う。仲介業者の社員(爽やかな青年、体育会系)がニコニコと「大家さん、いい人ですよ!」と付け加える。いい人そうな人が言う「いい人」は、彼らの中で言語化されないまま共有された価値観だ。多分私には理解できないんだろうなーとか考えながら「そっすか、えへへ」みたいな笑いを返したと思う。ダッセ。
仲介業者のオフィスで書類を書き上げ、契約に関する説明を聴き終えた後、その足で大家さんのもとへと向かった。大家さんのオフィスはプレハブ小屋の様な外観で、草臥れた大きな看板が建物の年紀を物語っていた。恐る恐る中に入ると、コロナ対策のビニールシートの奥から「ぼくちゃん、いらっしゃい」と言われる。ぼくちゃん。初めて言われた。イントネーションは赤チンと同じだった。名前を伝えると、「厭味ちゃん」といった呼び方に固定された。イントネーションは忘れた。
当時私の髪色は濃いヴァイオレットだった。平生から目元に紫を入れているので、その容貌は紫蘇マンとして立派なものだっただろう。始めこそ触れられなかったものの、数分話して打ち解けたと判断した彼女は、「その紫は自分でやってるの?」と訊いてきた。そうだ、と答えると、この歳まで好き好んで大学にいること(研究が好きなだけで大学はそこまで好きではない)と髪色が紫なことなどに触れて「人生楽しめているのはいいことねぇ」と返した。
「お? 馬鹿にされてるか? 買うか? 喧嘩を」と思ったものの、どうやらそうではないらしい。好きなことばかりしてそれなりに名声を得た息子の話に軽く触れながら彼女は、自分も楽器を嗜んでいること、好きなことが沢山あると人生が楽しくなるという持論をゆっくりと話し始めた。
相手の振る舞いから第一に「馬鹿にしているかどうか」を判定しようとする自分に苦笑いしながら、私は「そうでやんすねぇ……」と頷き、自分の研究や趣味を訊かれれば答え、二人でゆったりとした時間を過ごす。すると、更に十数分経って藪から棒に、彼女は「あなた、ファンがいそうねぇ」と言い出した。
先ずの感想は「は?」である。ファンのいる大学院生など存在するか? いや存在するか。もしかして、またノリで相手に誤解を与えてしまったか? 学部時代、「子供は大嫌いだが教えるのは得意やぞ」という自意識で塾講師をしていたことがあり、面接時テキトーに受け答えをしていたら「上浦さんはお子さんが好きなんですね!」と言われたことがある。大嫌いだ。躊躇なく子「供」と書くくらいには嫌いだ。そんな経験を繰り返す中、また今回も似た状況にあるに違いない。過ちを繰り返す。人間は愚かだ。
いくら相手が「おっとりとした女性」であっても、脳味噌を振り回すのに数十秒もかけていては不自然だ。速やかに何かを答える必要がある。肯定するか、否定するか。否定して、「あらそう? でも……」などと不躾に私への印象を公開されても反応に困る。こういう手合いは、善意で「如何にあなたが良い人間か」を言い連ねてくるに違いない。お節介の釣瓶打ちは私の弱点だ。どうにか避けなければならない。
二秒ほど考え、私は「実は趣味でアイドルやってるんですよ」と答えた。彼女は驚くこともなく「あらやっぱり! そんなところだと思ったわ!」と返す。
私は今、アイドルとして生きている。
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